menu

曇天日和

どんてんびより

悔悟

荀彧が博望坡に辿りついた時、既に戦の大勢は決していた。
引き揚げてきた将兵たちを見て、荀彧は思わず眉間に皺を寄せた。
「なんということ…」
将兵の被害は、決して軽微とは言えなかった。
規模の大きな火計があったとは伝令から聞いている。
火傷を負ったり、装備を焦がした者が、あちらこちらでぐったりとしていた。

「夏侯惇殿!」
探していた人の無事を確認し、荀彧は駆け寄った。
幸いにして外傷はなさそうだったが、顔や体は煙に巻かれたせいか煤けている。
「すまんな、無様な姿で」
「っ…」
自嘲する横顔には疲れが見えた。荀彧の胸が、しくりと痛む。

「ああ荀彧殿。すいませんこんなところまで…」
兵たちを取りまとめていた李典、于禁も荀彧に気付いた。
「申し訳ござらぬ。策に嵌って劉備軍を取り逃がすとは、断罪されるべき失態」
開口一番、于禁が荀彧に深々と頭を下げてきた。
「いいえ…皆様、ご無事で何よりです」
「これでも李典のおかげで最悪の事態は避けている。心配するな」
夏侯惇の言葉に、李典は力なく首を振った。
「よしてくださいよ…結局火計は阻止できなかったですし」
直感が働き、趙雲の一時撤退を罠と見抜くことはできた。
だが部隊の動きが予想外に俊敏で、一部を止められなかった結果、火計は行われてしまった。
逆茂木の破壊に徹したおかげで早く鎮火はできたものの、それで手一杯となった結果、劉備軍を逃がしている。

「諸葛亮…想像以上のようだな」
荀彧と共に駆け付けた曹操が、渋い顔を見せる。
武力、兵力だけなら、より凄まじい敵はいくらでもいた。
だが今の劉備はそれとは違う。端的に言えば隙がない。
「軍師から知恵を授かり、用兵術を身に着けるだけでこうも変わるか…ふっ」
言いながら、曹操は誰ともなしに嗤う。
かつて徐州攻めを行った際、曹休が述べた感慨と同じことを言っている自分に気付いたからだ。
「奴もまさに、雄飛しようとしているか。龍と共に」
「殿…」
未だ黒煙の燻る平原を、静かに眺める。
主君の背に、荀彧はかける言葉を見つけられなかった。





新野まで引き返した頃には、夕刻になっていた。
城の廊下より見える黄昏の空を、荀彧は黙って見つめる。

軍師が悔いている暇などない。
打ちひしがれるくらいなら、策を練って挽回することに心血を注ぐべき。
しかし劉備に諸葛亮がついたという報告を受け取った時、荀彧を支配したのは明確な焦燥だった。
馬を走らせ前線に駆けつけてみれば、敵の計略を打ち払うことで精一杯となった自軍。
劉備軍に止めを刺せなかった無念が滲む、夏侯惇の顔。
「っ…」
初めて、過去の己の判断に対して苦々しさを感じた。
董承の計画が露見した時点で、芽は摘んでおくべきだったのか。

情から芽生えた志の下、寄る辺もなく戦い続ける男。
類稀なる武勇を備えた義兄弟がいるとはいえ、強大な敵の前では野晒しで。
客将として扱われればそれまでの存在だと思っていた。
その男が、明確に牙を剥き始めている。
才ある者らを引き入れ、智勇を以てその存在を確かにし始めている。

諸葛亮は、劉備に何を見たのだろう。
有り余る才知を持つと中原の方まで噂轟きながら、誰にも靡かず伏し続けた名士。
その彼が、己を託すに値すると見込むだけの器が劉備にはあるのか。
劉備へと傾く心中は、測りかねた。いくら軍師でも人の心までは読み切れない。
だが読み切れなかったが故に今、こうして劉備を膨れ上がらせつつあるのだ。

「…っあ!」
ふいに、頭に鋭い痛みが走った。
思わず近くの壁に寄りかかる。体が傾いた拍子に帽子が転がり落ちた。
「っく…うっ…」
側頭部が、脈打つように痛みを訴えてくる。

「大丈夫か!?」
背後から声がかかった。すぐに肩を抱きとめられる。
「っ、顔色が悪いぞ」
夏侯惇が覗き込んだ荀彧の顔は、色が抜け落ちて青ざめていた。
「すみませっ…急に、頭が…っ」
「…わかった」
「えっ、あ」
急に、体がふわりと宙に浮いた。
「か、夏侯惇殿…」
横抱きにされたことに気づいた荀彧は戸惑いの視線を送る。
しかし夏侯惇は何を気にする様子もなく、そのまま廊下を歩き始めた。


誰も使っていない個室までやってくると、夏侯惇は寝台に荀彧を寝かしつけた。
革靴と手袋を脱がし、楽な状態で寝られるようにしてやる。
「すみません…ご迷惑を」
自分などより、夏侯惇の方が何倍も疲弊しているというのに。
情けない姿を見せてしまったことを恥じ入る。
「っ、あ」
だが荀彧の思いに反して、頭痛は暫く止みそうになかった。
「孟徳から薬でももらってくるか?」
曹操は頭痛持ちだ。華佗から処方された薬を持ち歩いているはず。
そのことを思いついた夏侯惇は申し出てみるが、荀彧は首を振った。
この逼迫した状況下で、曹操の手まで患わせたくはなかった。
「いいえ…一時のことだと思いますので」
「…わかった。少し寝てろ」
「はい…」
少しでも頭痛から逃れようと、荀彧は目を瞑る。
時折痛みは来るが、徐々にその感覚も間が置かれるようになってきた。





「あ…」
気づくと、部屋の中は暗くなっていた。
月明かりだけが薄く差し込み、夜になっていることを知る。
頭痛が治まると同時に、眠ってしまっていたようだ。

「…夏侯惇、殿?」
横を向くと、驚いたことに腕を組んで椅子に座る夏侯惇の姿があった。
一瞬寝ているかと思ったが、荀彧の声を聞いてすぐに目が開く。
「起きたか」
「まさか、ずっといらしたのですか?」
「なんとなく気がかりでな」
何故、という荀彧の視線を理解して静かに答える。
荀彧は知る由もないが、寝入ってしまった後も時折辛そうな表情を浮かべることに、夏侯惇は引っ掛かりを覚えた。
何かに苦しんでいるのは、間違いない。

「何か悩んでいるのか?」
夏侯惇は素朴な疑問を口にした。
その問いに、しばし荀彧は押し黙る。だが稍あって、思い当ることを話した。
「…申し訳なくて」
「何がだ?」
「劉備を、勢いづかせてしまいました」
夏侯惇の右目が瞬く。
「夏侯惇殿は一貫して、劉備の危険性を説いていました。貴方の直感を、もう少し汲み取っていればと」
「いい。俺が何を言った所で、最終的に決断する権利があるのは孟徳だからな」
「夏侯惇殿…」
尚も言い募ろうとする荀彧の頭に、大きな手が置かれる。
「お前も、郭嘉も。劉備が孟徳と相容れぬことは十分理解していたろう。ただその時その時の状況を見ながら、策の限りを尽くした。その中から、孟徳が選び取ってきた道が今に至っている、それだけだ」
「っ…」

理を行く者と、情に惹かれる者。その思想が交わることなど、まずない。
故に、力をつけてしまえば危険な存在であることは、荀彧も承知していた。
元より曹操の覇道は、時には民草を乗り越えてでも行かねばならぬ。しかし対価として、相当な犠牲を兗州で支払った。
だからこそ郭嘉も、あの時点で人心を向こうに回す策は避けたし、曹操も無駄に弑すよりも利用価値の高さを見込んだのだ。その判断を否とは思わない。
「俺自身は、どこかでさっさと劉備を始末しておきたかったという思いは変わらん。だがそれをできたとして、他の事がどうなっていたかはわからんのも事実だ。呂布も、袁術の討伐も。袁紹との戦も、時がかかりすぎたやもしれん」
徐州攻めからここまで、何度も修羅場を潜り抜けた。
成し遂げるにあたり、決して自軍の武だけで乗り越えてきたわけではないことを夏侯惇は自覚している。
荀彧たち軍師による、数々の献策。その中に組み込まれた、戦力としての劉備たちや孫呉の将兵。様々な要素が絡み合い、時には辛くも、時には鮮やかに勝利を収めてきた。
何かひとつでも違えていたら。今こうして、劉備たちに悩まされることもなかったかもしれない。
だが、曹操が今の位置に漕ぎ着けたという保証は、どこにもないのだ。

「俺もお前も、他の連中も。皆が孟徳の目指す天下を思って戦い、進言している。それが全て、同じ意見である必要はないし、気に病むこともない。孟徳もそれは望んでいない筈だ」
「…はい」
荀彧は静かに頷く。
人を見て、人の話を聞き、自身で思考し決断を下す。
だからこそ、自分は曹操に賭けたのだ。
己の意志を強く持ち、理を第一として進むと決めた、英雄の器に。
「珍しいな、お前がそこまで後ろを振り返って悩むなど」
「も、申し訳ありません…」
「…気にするな」
軽く笑うと、夏侯惇は荀彧の頭を撫でてやった。
猛将とは思えぬ優しい手つきから、温もりが伝わる。
その穏やかさが、荀彧の心へと染み入り、揺さぶられた。


「何か飲み物を持ってくる。待ってろ」
夏侯惇は踵を返そうとした。
だが、腕に手が伸ばされて、緩やかに制される。
「…荀彧?」
微かに震えた手つきで、自分の右手を捉えた彼を不思議そうに見やった。

「行かないで、ください…」
俯いた顔からは、どんな表情をしているかはわからない。
ただ、耳元がわずかに赤らんでいることは、月明かりのおかげでわかった。
「荀彧」
「す、すみません。何でもないです」
自分でも咄嗟に取ってしまった言動に驚いたらしく、荀彧は手を引っ込める。

「…わかった」
「えっ」
夏侯惇は荀彧を抱き起し、その腕の中に収めた。
急なことに、荀彧の息が詰まる。
「か、夏侯惇、殿…?」
逞しい腕と張りのある胸から伝わる体温に、脈が跳ねあがるのがわかる。
「…いい香りだな」
「っん…」
耳元で囁かれた声に、荀彧の体が震える。
夏侯惇もまた、荀彧の首筋から漂う香に心をざわめかせた。

少しだけ力を緩めて、腕の中の彼を覗き込んだ。
互いの視線がかち合う。
どちらからともなく、口付けを交わした。

「ん、っ…」
ゆっくりと舌を絡ませ合いながら、その頬を撫でる。
先程まで白かった顔に、強い赤みが差していく。
唇を離すと、密やかな色香を滲ませた瞳がそこにあった。
「…いいのか?」
念を押すような問いに、荀彧は黙って頷いた。
「…わかった」
留め具をを外して、上着を脱がしにかかる。
ゆとりある作りの装束の下から、体の線がわかる下着姿が覗いた。
武将のそれとは違う線の細さを前に、夏侯惇の喉が鳴る。
「あまり、見ないでください…見るべくところもないものです」
「ふ。お前たち軍師まで屈強だったら立つ瀬がないわ」
冗談を口にしながら、夏侯惇は己の甲冑を外した。
下に纏った簡素な布服姿となってから、寝台の上に乗り上げる。
荀彧を寝台へと押し倒し、その上に圧し掛かった。

「っ…」
下半身の装束も取り払われ、下穿きを露わにされた荀彧の太腿を、大きな手が這う。
やがて夏侯惇の手は下穿きの中へと入り込み、弱い部分を握った。
「はあっ…あ…!」
太い指で擦り上げられ、切ない吐息を漏らす。
その慎ましやかな乱れ方が、夏侯惇の熱に火をつける。
「ここがいいのか」
「ひぁっ、あぅ…いやっ」
「嫌か?」
わざと聞き返してやると、荀彧の顔が更に赤く染まった。
「そんな…聞かない、で、くださっ…あっ」
「あまり煽るな。優しくしてやれなくなるぞ」
「あっ、や、あうっ…あぁん!」
少しだけ強く握り込まれ、荀彧の体が跳ねた。
上半身を見れば、下着にくっきりと胸の飾りが浮き出ているのが見える。
夏侯惇は空いた手で下着の合わせ目をずらし、白い胸を露わにした。
「ひ、ああっ…んぅっ、ああっ、あ!」
胸元に吸い付かれ、下からも刺激を与えられ。次第に高みへと追い詰められていく。
心地よさと恥ずかしさが、荀彧の心と体を翻弄した。
「夏侯惇、どの、お手をっ…あぁっ」
限界が近いと感じ、その手を汚してはならぬと荀彧が手を払おうとする。
だが夏侯惇は意に介さず、下穿きを取り去り、扱く力を強くした。
「いい。気にするな」
「あ、あうっ、ぁあぁあんっ!」
先端を強く擦られ、荀彧はたまらず夏侯惇の手の中で果てた。
温かい蜜が、手の中で広がる。

「っは…あっ、かこう、とん…どの…」
肩で息をする荀彧の瞳が、より強く情欲に染め上げられる。
常日頃の清廉な姿を剥ぎ取られ、それでも尚、快楽に惑う姿も美しい。
「荀彧…」
夏侯惇は荀彧の手を掴み、勃ち上がりかけている己へと導いた。
「お前からも、してくれるか?」
「っは、はい…」
普段手袋に包まれた日焼けのない手が、夏侯惇の自身に触れた。
節はあるものの、長く形の良い指が静かに絡みつく。
指先から伝わる熱が、夏侯惇を刺激した。
「っふ…いいな」
「っ…すみません、どうしたら…」
「いい、そのままやってくれ…っ」
遠慮がちで優しい手つきだが、それが却って心地よかった。
すぐに芯が入り、滾らせていく。
「…お前の中に、入れるぞ。いいな」
「っ…はい」
自分の手の中で質量を増していくそれに、荀彧はわずかに慄く。
だが、受け入れる覚悟はできていた。
夏侯惇は荀彧の足を広げ、指を秘所に押し当てる。
「あうぅっ…」
異物が入ってくる感覚に、苦しげな声を上げた。
しかし先程吐き出した精が潤滑油となって、夏侯惇の指をゆっくりと受け入れていく。
「はぁっ、あ…ああ…んっ」
硬かった入口が次第に解れ、柔い感触を伴う。
それに呼応するように、荀彧の口からも甘い声が漏れた。

「…そろそろ、だな」
ひとしきり秘部を犯してから、指を引き抜く。
そのまま、荀彧の腰をしっかりと掴んだ。
「あ、あぁあぁあっ…!」
荀彧が悲鳴を上げた。
十分慣らされたとはいえ、指とは比べ物にならない大きさである。
強烈な圧迫感の押し寄せに息が止まりかけるが、堪えた。
「荀彧っ…大丈夫、か」
「っあ、あ、っ…はい…」
「…すまん、な」
少しでも辛さを和らげようと、夏侯惇は荀彧の芯に手を伸ばした。
「あ、ああっ」
緩やかに刺激を与えられ、体を支配する圧の中にも快感が生じる。
それが呼び水となって、荀彧の体から僅かに強張りが抜けた。
夏侯惇はゆっくりと、しかし確実に奥へ押し込む。
「っ!ぁんっ…!!」
ある一点を夏侯惇の自身が掠めた瞬間、荀彧の声が跳ね上がった。
気づいた夏侯惇は、腰を動かしてそこを責め立てる。
「あっ、あっ、いや…あ、んっ!」
「っく…荀彧っ…!」
「あっ、あ、は…!ぁあん…ぅっ!」
荀彧の声は、苦痛を伴う喘ぎから甘く蕩ける嬌声へと変わっていた。
内側に秘めた強い快楽を呼び起され、必死でもがく。
その艶めかしい様に溺れ、夏侯惇もまた限界を迎えようとしていた。
「っく…っ!」
解き放たれた情欲が、内へと注がれる。
「あぁっ、あー…あ、ああぁあんっ!」
体内に広がる熱を受け止めながら、荀彧も再び果てた。





「すまん、無理を強いたか」
「いいえ…大丈夫、です。お気になさらず」
情事の疲れが、腕の中に収まる体を包み込む。指一本動かすのも辛い。
しかし気怠さに支配された声には、平時の響きが戻りつつあった。
「…荀彧」
自分の名を呼ぶ声に、少しだけ顔を上げた。
強い光を湛えた隻眼が、荀彧を見据える。
「俺は勿論、お前にも、孟徳にも読めぬことなど、今まで何度あったか知れん」
「ええ…そして、これからもきっと」
いくら策を弄したところで、全てを見通すことなど叶わぬ。
何かを成せば何かを失う。
その繰り返しの果てに、今というこの時がある。
「だがお前は、お前の思う通りに動けばいい。何があろうと、その時の最善を孟徳のために尽くす。俺達にはそれだけしかなかろう」
「…はい。ありがとうございます」
荀彧は静かに微笑み、夏侯惇の胸に顔を埋めた。


この先、自分達は一体何を手にし、何を取りこぼすだろうか。
たとえ何が起きたとしても、そこで待つ景色は自らで選び取った末のもの。
後悔が入り込む余地など、ないのだ。

進むと決めた、支えると決めた道を、ただ行くのみ。
いつかは迎える、その時まで。




2018/04/25

top