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曇天日和

どんてんびより

青鵲の恋【一】

その日、夏侯惇は夏侯淵と共に狼狩りに出ていた。
近隣の村人たちから、ここ数日作物を荒らしに来る、どうにかならないかと要請があったためだ。
幸いにして今は戦時でなかっため、曹操の股肱である二人が直々に狼の退治を買って出た。

「いたぞ、淵」
「っし、任せな…おらよっ」
夏侯惇がいち早く狼に気付き、それを夏侯淵が弓で仕留める。そうやって、もう群れを2つ分程度の頭数は片付けただろうか。
夏侯淵が放った矢は、今回もまた鋭く空気を切り裂き、正確に狼の首を貫いた。
どさり、と狼が倒れ伏す音がする。夏侯惇も満足げに笑った。
「念のためと思ったが、こいつは必要なかったな」
「っへへ、あったり前よ」
鏃に附子を塗りつけた毒矢も用意はあったが、一切使うことなく、夏侯淵は獲物を仕留めてみせた。弓使いの面目躍如である。

「さーてどうする、惇兄?結構倒したぜ?」
「そうだな。ひとまずこれで一度様子を見てみるか…ん?」
夏侯惇の耳に、ヒュイ、と弱々しい鳴き声が聞こえた。
ふと見れば、夏侯淵背後の茂みからちょうど何かが抜け出してきたところだった。
「ん?惇兄どした?」
「淵、後ろだ」
「んん?うぉっなんだこりゃすげえ!」
「ほう…」
今までに見たこともない鳥だった。
深い藍色の頭に、太陽のごとく鮮やかで形のよい嘴。
翼と長く伸びた尾羽は青く煌めいている。
「ひゃー、こんな綺麗な鳥さん初めて見たぜ、なあ?」
「しかし…衰弱しているな」
夏侯惇は眉間に皺を寄せ、よろよろと動くその鳥を捕まえて抱き上げてみる。
嘴と同じ赤い色をした脚は不自然に曲がっており、血が滲んでいた。
ヒュイ、ヒュイと鳴き声も震えており、妙にか細い。
「他の動物にでもやられたか?」
「そうだな…いや待て、これを見ろ」
夏侯惇は翼の違和感に気付いた。
妙な形をしていると思ったら、風切羽が不自然にまっすぐ切り裂かれている。
野生の動物の所業ではないことは明らかだった。
「ありゃ…こいつぁ、人間様の仕業かねぇ。かわいそうに」
「…まあいい。華佗にでも見せればなんとかなるだろう」
ひと通り眺めてみたものの、それ以外に傷を負っているわけではなさそうだった。
しかしこのまま放置すれば恐らく、何かしらの犠牲にはなる。
「連れ帰んのかい?」
「ここで会ったのも何かの縁だ、無碍にすることもあるまい。治れば野生に帰す」
「はいよ。へへっ、お前よかったなぁ会ったのが俺達で」
夏侯淵は笑って、鳥の頭を撫でてやった。その時だ。

ガサガサッ、と背後の茂みが不自然に揺れた。
「淵」
「おっとマジか」
夏侯淵は音がした方めがけて威嚇の矢を放った。
どす、という音を響かせ、矢が木の幹に命中した瞬間である。
「ぎえええええっ!?」
蛙の潰れたような醜い声がして、茂みから何か飛び出してきた。
「は?」
「げっ!?」
夏侯惇も夏侯淵も思わず後ずさる。

「ちょっと旦那たち、びっくりさせないでくだせぇよ!」
見れば、ここ最近許昌でよく会う行商人の男だった。
珍しいものを売っているらしく、女性たちが集まっているのを何度か見かけたことがある。
「いやぁ~悪い悪い!俺たち狼かと思ってよ、てっきり」
「すまんな。ここのところ村の田畑を荒らしていると報告が入って、駆除をしていた」
「そ、そいつぁご苦労様で…しかし耳許でドスゥ!なんて聞こえた日にゃ寿命縮みますぜ」
男はやや大仰なため息をついてみせた。

「あ」
男の目が、夏候惇が抱えた青い羽の鳥を捉える。
たちまちその目がギラギラと輝いた。
「だ、旦那たちそいつは…!」
「ああこいつか、今拾ったところなんだよ。怪我してっから連れ帰って手当を」
「そいつを俺にください!」
「はあ!?」
夏侯淵が言い終わらないうちに男は叫んでその場に跪いた。
突然の剣幕に、夏侯淵も夏候惇も眉を顰める。
「何故だ」
「そいつは俺の探してた鳥でして、やっと捕まえたら逃げられちまったところだったんですよ!」
「…はーんなるほど。お前この鳥売るつもりなのか」
夏侯淵の問いに、男は下品な笑みを浮かべる。
「へへ、美しいでしょう?こいつぁとても珍しい鳥でね。俺の親父の代から追ってるんです。ここだけの話、お偉いさん方に高く売れるんですぜ」
「んー、まあ人様の商売に口出す気はさらさらねえよ?でも売りてぇんなら、もちっと健康な姿のほうがいいんじゃねえか?」
「そうもいかねえんですよ。この鳥は賢いんで、少し痛めつけておかないとすぐ飛び去っちまうし、現に脚を折っても風切羽切っても逃げられましたからねぇ。それにこいつは夜…」
「もういい」
尚も何かを言い募ろうとした男を、夏候惇が制した。
「お前が飼い慣らしている鳥であるなら渡したが、別にお前の所有物ではないんだろう。なら、捕まえた俺が自由にさせてもらう」
「え、そりゃないぜ旦那、俺がやっとの思いで…!」
「帰るぞ、淵」
夏侯惇は振り返りもせずに歩き出す。
その様子に夏侯淵は一瞬面食らったが、じゃあなと軽く男に告げてから夏候惇の後を追った。


「惇兄、急にどうしたよ?」
夏侯淵は訝しがりながら声をかける。
確かに男のやり口は綺麗とは言えないが、向こうも生きるため、商売でやっていること。
商人の理に、武人の自分たちが口を出す筋合いはない。夏侯惇もそれは承知していたが、いい気分はしなかった。
「どうも気に喰わなくてな。あの様子では捕まえることばかりに必死で、その後大した手当もせず売るつもりだったろう」
「ああー、まあな」
仮にも商品となるものを著しく傷つけ、碌に大切にする気もなく売り捌く魂胆が透けて見えた。
その姿勢が、どうにも夏候惇の魂に合わなかったのだ。





「私は確かに医師ですがね。いきなりやってきて鳥を見ろとはどういう了見ですかな」
「すまんな、俺達には知識がない故」
「まったく私も人がいい」
文句を言いつつも、華佗はあっという間に鳥の脚に添え木を施した。
切られてしまった風切り羽を掴み、さっさと引っこ抜いていく。
その躊躇なさに二人は驚いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。抜いちまって平気なんですか?」
「むしろ抜かないと新しい羽が出てきませんわな」
だからこそ長い期間飛べなくするには切るのが一番いい、と華佗は付け加えた。
「他の羽は異常なし。数日もすれば新しい風切羽も生えてくるし、脚もその頃にはどうにかなるでしょう。それで、いかがなさるおつもりか?」
「治ったら野生に帰す。それまでは拾った俺が責任を持つ」
「一度人の手が加わった鳥が、野生に戻っても幸せとは限りませんけどねぇ」
夏侯惇の言葉に、華佗はしかめっ面をする。
おもむろに机の下に潜り込んだかと思うと、何かを引き出した。

「いっそ貴方が飼った方がよろしいのでは?」
どんと机に置かれたのは、大きな鳥籠だった。
何故救護室にそんなものが、と二人は突っ込みの眼差しを向けるも華佗はお構いなしだ。
止まり木の用意をし、雑穀の入った餌箱も入れてやる。
「まあ夏候惇殿のお好きなようにすればよろしい。餌はこれでいいでしょう」
「…用意が良過ぎないか?」
「この部屋にないのは金だけです」
そう言い放つと、最後に鳥を籠の中へと収めて夏候惇に押し付けた。

「なあ惇兄。先生の言う通り、いっそ飼っちまってもいいんじゃねえか?」
救護室からの帰り際、夏侯淵はそうつぶやいた。
「馬鹿言うな。戦にでもなれば飢え死にさせる」
夏侯惇は決して動物嫌いではない。だが、愛玩目的で動物を飼う気は一切なかった。
この乱世、いつ何がきっかけで戦場に赴くことになるとも限らないし、そうとなれば数ヶ月単位で本拠を明けることにもなる。
武人の生き方とはそういうものだ。故に、常日頃から世話の必要な動物を置くことはできない。
「そりゃそうだけどよ。なぁんかその鳥、惇兄に懐いちまう気がするんだよなぁ…」
夏侯淵は、鳥籠の中の青い鳥を見やった。
捕まえた当初こそ人の手に怯えて震えていたが、今はすっかり落ち着いている。
鳴くこともせず、そしてじっと夏候惇の方を見つめていた。


「狭くてすまんな」
自宅に戻った夏候惇は、窓際の風通しがいい所に鳥籠を置いた。
鳥は見慣れない環境に辺りを見回すが、やがてすぐに視線は夏候惇に戻る。
「…災難だったな。早く治せよ」
夏侯惇がふっと笑いかけた。

ヒュイ。

華佗の救護室からずっと黙っていた鳥が、ようやく鳴き声を漏らす。
最初に聞いた弱々しいものより、いくぶん元気を取り戻したように聞こえた。




2018/04/13

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