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曇天日和

どんてんびより

汝、すべて我が内

ザクッ、と皮膚が裂ける音がした。
「っ、あ…!」
鋭い痛みにやられた右手から、陣杖が零れ落ちる。
致命傷こそ免れたが、右肩の近くからは血がどくどくと脈打ちながら溢れ出した。

オーディン軍の攻勢は熾烈を極めた。流石は、異世界の神による指揮故か。
元の世界での戦であれば、まず想定し得ない位置より敵が襲いかかってくる恐怖。
異形の怪物たちによる予測不能な進軍とも相まって、前線は混乱の一途を辿っていた。
後方の拠点で待機していた荀彧の部隊も例外ではなく、つい今しがた急襲を受けたところだ。
いつ何があってもおかしくない状況であることは、配下にも徹底させてある。攻め込んできた部隊を押し返し、どうにか凌げると思った矢先だった。

「く……あっ!」
取り落とした陣杖を拾おうとした瞬間、それを蹴り飛ばされてしまう。
はっとする間もなく、首筋に冷たい金属の刃の感触が走った。
「これ以上の抵抗は無駄と知れ」
オーディン軍の将の勝ち誇った声が突き刺さる。
不覚だった。こうもあっさりと背後を取られ、窮地に陥れられるなど。
荀彧が唇を噛んだその瞬間だった。

『我の贄に手を出すな』

神々しく、そして大いなる怒りを孕んだ声がこだました。
目も眩むような光が迸り、黄金色の円陣が空中に浮かび上がる。
「な、っ…ぎゃああああ!?」
驚く間もなく、荀彧に張り付いていたオーディン軍の将が弾き飛ばされた。
圧から解放されて振り返った荀彧が目にしたのは、円陣から突き上げられた華奢な青い脚。
やがて円陣の光が消え、その全貌が露わになる。
「ケルピー、殿っ…」
『愚か者め』
少々吐き捨てるような物言いをすると、ケルピーは荀彧の体を尾で包んだ。
無機質な目は、たじろぐオーディン軍たちを一瞥し、ぎらりと煌めく。
首回りの水色の体毛が逆立ち、水煙が揺らいだ。
「…っ!皆さん危険です、その場を離れてください!」
荀彧は咄嗟に、同じようにたじろいで戸惑っている配下たちに声を飛ばした。
配下たちは慌てて、ケルピーの視界から見えない位置へと退却する。
間一髪、それが間に合った瞬間だった。

ケルピーの口がかっと開いた。
それを合図に大量の水が周囲から巻き起こり、目の前で渦となっていく。
巨大な水球と化したそれが、勢いよく前方のオーディン軍に向かって放たれた。
「ぎゃああああああっ!?」
ゴゥッという激しい流水音と同時に、断末魔の悲鳴が方々で上がる。
水球が波となって広がりながらオーディン軍に襲いかかり、たちまち大軍を一息に押し流した。
「この、隙に…皆さん、退きましょう!長居は無用です」
水音にかき消されぬよう、荀彧は声を張り上げる。配下たちはそれに従って退却を始めた。
その様を見届けたケルピーが、荀彧へと鼻面を突き出す。
『乗れ、荀彧。前線の奴らも洗い流してやろう』
「は、はい…!」
荀彧が頷くと、ケルピーはすぐさまその場に膝を折った。
恐る恐る荀彧は、低くなった背に跨る。冷たい鱗の感触が、布越しにも伝わった。
『…行くぞ』
ケルピーは嘶くと、流れるような速さで前線へと走った。






ケルピーの起こした水流により、どうにかオーディン軍は追い返すことに成功した。
しかし被害を鑑みてもこれ以上の防衛は無理との判断で、いったん連合軍は全軍退却となった。
皆が本陣へと帰路につく中、ただ一人荀彧はケルピーの青い背に揺られたままだった。
「あの…ケルピー殿っ」
背中越しに声をかけても、何も反応を得られない。
ただケルピーは走り続けた。荀彧は振り落とされまいと、しがみつくのが精一杯だった。


数刻もしないうちに、本陣裏手の湖へと辿り着いた。
ぺし、と背中を軽く尾で叩かれる。
降りろという合図だと悟った荀彧は、おとなしくその背から降りた。
『…何故我をすぐに呼び出さなんだ』
開口一番、ケルピーが荀彧を睨みつける。
「申し訳ありません、誤算でした…ここまで追い込まれるとは思わず」
今回の布陣は、連合軍もオーディン軍も山道を縫うような形であった。
狭く高低差が激しい戦場の中にあって、水を操るケルピーの力は味方にも損害を与えかねない。
その危惧があったが故に、今回の戦でケルピーを呼ぶつもりはなかったのだ。
『汝の体は我に捧げるためにある。あの程度の者らに傷をつける隙を与えるなど、許さぬ』
そう言い放つと、ケルピーは口許で何事か呪文を唱え始めた。
唱え終わると、その口吻を荀彧の傷口へと這わせた。
「っつ…!」
俄かに走る刺すような痛みに、荀彧の眉が歪む。
「え?」
次の瞬間、信じられない光景を見た。
ケルピーの口から、透明な水―――のような何かが吐き出された。
それは粘膜のような柔らかくぬるりとした感触で、それ自体が意思を持っているかのような動きをしていた。
粘膜は揺らぎながら広がり、激しく切り裂かれた荀彧の右肩全体を覆った。
「な……!?」
更に信じ難い現象は続いた。包まれた右肩に、じんわりと温かな熱が走る。
それと同時に痛みが抜け落ちていき、裂かれた皮膚が収縮していくのが見えた。
皮膚と装束に染みついていた血は水の粘膜の中に溶けて、綺麗さっぱりと洗い流される。
役目を終えた粘膜は、次の瞬間また元の水となって、湖に滴り落ちた。

「これは…」
荀彧の右肩の傷は、跡形もなく治癒されていた。
引き裂かれた装束の下には、抉られ血を流す皮膚があった筈が、その傷跡すらない。
少し湿り気を帯びているそこを、荀彧は撫でさすった。痛みもなかった。
「あ、ありがとうございます…っ」
荀彧は頭を下げたが、見上げたそこに迫るケルピーの顔面に息を詰まらせる。
ケルピーの金属を思わせる眼は、決して表情を正確に読み取れる造作ではない。
だが、幾度も身を捧げてきたが故に、肌で感じるものがあった。
今のケルピーは明らかに怒りに満ちている。こんな風に機嫌を損ねた様子を見たのは初めてだ。
「あ、あの…っ!?」
言いようのない不安と怖れが募ったその瞬間、ケルピーの口先が喉元を突いてきた。
装束の留め具を引き剥がされ、首元と肩が露わになる。
むき出しになった鎖骨を押し広げるように舐め上げられ、首筋へと舌が這った。
「あっ…あ……ぅ!」
夜毎交わされる契りの行為を思い起こさせられ、荀彧は頬を染めた。
深夜でもなければ夜明けでもない。流石に声を上げずにはいられなかった。
「お待ち、ください。まだ日が…」
『囀るな』
ケルピーは荀彧の唇に舌を押し当て、無理矢理にこじ開けた。
「んっ、んんっ…!ふ、うっ、っ…んぁ…あ……!」
息も吸い込む暇すら与えてくれぬ激しい口づけに、あっという間に頭が朦朧とする。
「は、あ…あっ…っ…あぁっ」
息も絶え絶えになり、腰が砕けたところを見計らい押し倒された。
水際に寝かされたために、下半身が湖の水に浸される。
起き上がろうとしたところを、ケルピーの四足が檻となって阻んだ。
『…汝には仕置きが必要だな』
いつもよりも棘を含んだ口ぶりに聞こえた。
優しいが強引で有無を言わさぬ愛撫を思い返し、更に激しく扱われるのかと身震いする。
「…っ」
こうなっては、なすがままを覚悟するしかない。口元を引き結んだ。



いつものように装束をすべて剥ぎ取られ、産まれたままの姿で横たえられる。
何もかもさらけ出した荀彧の体を、ケルピーはじっくりと眺め続けた。
「………あ、あの」
いつまでも手を出す気配のないケルピーを、荀彧は心細げな眼で見上げた。
ただこうして裸体を見られ続けるというのも存外気恥ずかしい。
怒っている、ということ以外真意の読めぬケルピーに焦燥感を覚えながら、荀彧は身を捩る。
「あっ…?」
とぷり、と水にしては重たい音がした。
それと同時に、冷たく滑った何かが、体の両側から這いずってくる。
ふと自分の体を見やれば、先程まで見ていた見覚えのあるものが目に入った。
つい今しがた、大怪我を負った右肩を包み込み、癒してくれた水の粘膜だ。
今度は荀彧の上半身に覆い被さるようにして広がってくる。
「ケルピー殿…?」
何故治癒の技を、特に怪我を拵えていない体に使うのだろうか。
不可思議に思ったその直後だった。
「っは…!?あっっ」
胸元の尖りを摘まみ上げられる感触が走った。背筋をぞくりとしたものが駆け抜ける。
「や、っ…なに……?あ、んっ!」
困惑する間もなく、同じようにまた尖りに触れられ、引っかかれる。
それだけでなく、無防備な腰を撫でられるような心地さえ覚えた。
「あっ、あ……あぅ…っ、あ!」
ケルピーの舌とはまた違う、冷たくねっとりとした感触。
体に与えられるこの刺激が一体どこから来るのか、それを察した瞬間、荀彧の顔が青ざめた。
「お許しくださいっ…そんな…!」
今、体を嬲っているのはケルピー自身ではない。
体中に纏わりつき、覆い隠す水の粘膜。
右肩の傷を癒してくれたそれが、今は別の意図を持って蠢いている。
「っは!あっ、あ……ぁ、いやぁっ!」
粘膜は好き放題に胸元を弄り、腰を撫で擦り、そしてついに股の方へと侵食を始めた。
太腿の間に滑り落ちる感覚だけでも、言いようのない快感が体の奥を疼かせる。
粘膜はそのまま、荀彧の中心の方へと擦り寄った。
「あぁあっ!」
まるで人の、五本の指に絡め取られるような感触だった。
「や、やめ…っ…あ…おねがい、ですっ…!」
人ならざる存在とまぐわい、はしたなく快楽に溺れる。
荀彧にとっては、そもそもが例えようもない羞恥と背徳感を伴う行為である。
その上で今度は生命ですらない物体に身を弄ばれるなど、耐え難かった。
「お許し、をっ……や、あぁっ!」
必死に許しを乞うても、ケルピーは聞く耳を持たない。
粘膜から与えられる刺激に喘ぎ、快感に打ち震える荀彧をただ眺め下ろすのみ。
「う、うっ…もう、やめっ…あぅ…!」
胸と股の中心を共に扱き上げられ、高みへと追い詰められる。
荀彧に抗う術など何一つなかった。
「あ、あ……っ、あ、っ、ああぁああっ!」
悲鳴に近い嬌声を上げながら荀彧は果てた。
精は飛び散ることなく粘膜の中へと吐き出され、中心部が白く濁る。
しかしすぐに吸収されたのか、白濁はあっという間に消え失せた。

「っは…あ…ん……っ…はぁ…」
達した余韻で力なく呼吸をする荀彧を見て、ケルピーはようやく声を発する。
『汝は美しいな』
先程のような棘はなかった。足元で細身を震わせる荀彧に、視線を一心に注ぐ。
『…汝のすべては、我が物であることを忘れるな。血の一滴すら、誰にも渡さぬ』
ケルピーの口が、荀彧を覆う粘膜に触れた。
たちまち粘膜は溶けて水へと戻り、湖の水と一体となる。
上気して色づいた荀彧の肌に、改めてケルピーは舌を這わせた。
「っひ…あ、あっ…あんっ…!」
生温く厚みのある舌に舐め取られるたび、荀彧は甘く蕩けた声を上げた。
この舌に愛でられる悦びを教え込まれた今、望んでいなくとも、体は歓喜に震えてしまう。
されるがまま、淫靡に乱れる自分の姿がひどく情けなく思えた。
「あ…いや、ぁっ……ゆる、して…あぁあっ!」
か細く抗いの声に、抑止する力などあろうはずもなく。
中心を咥え込まれたことで生じる強い快感が、荀彧の背を反り返らせた。
「いやっ、やめ……っ!?」
思わず手を振り上げようとしたが、それを止められる。
ぬたりとした鈍重な感触が腕に巻き付き、荀彧の動きを制限していた。
とぷり、とまたも重たい水の音が聞こえる。腕に纏わりつくのは、先程以上に質量を増した粘膜だ。
『…言った筈だ、仕置きだと』
荀彧の股から口を離したケルピーのその目に、妖しい光が宿る。
「っひ…いやぁ…!」
両腕を絡め取る粘膜がじわじわと広がり、またも荀彧の胸元を覆い隠す。
生き物のように揺らめきながら、胸の膨れた蕾を弄んだ。
「うっ、あ、あぁっ……やぁっ!?」
胸を這い蹲られる感覚に身悶えている暇もなく、今度は下半身に圧迫が走る。
臀部を押し広げられ、秘所に柔らかい何かが入ってきた。
気がつけば、足元は湖の水に浸かっていた筈が、それはすべて同じ粘膜へと変貌していた。
「やっ…やめ…あっ、あうっ!」
脚を動かそうにも、粘膜の重みは枷となって荀彧を縛めてくる。
更に粘膜は、内部を余すところなく犯そうと揺れ動いた。
「おね、がっ……もう、むり、ですっ……あ、いやぁあっ!」
止めとばかりに、ケルピーの口淫が再開される。
弱い箇所を一度に責められ、快楽が幾重にも折り重なっていく。最早それは、身を壊す毒に近い。
決して乱暴なのではない。ただ、人が受けるにはあまりにも烈しく、熱情が過ぎた。
「ああっ、あ、あっ!んぅ…あぁ…!」
感情も、理性も、赤子の手を捻るように吹き飛ばされて、喘ぐしかできない。
何も考えられなくなり、この激流に流されて、何もかも呑まれていく。
「ひっ、あっ……あ、あ、あぁあああーっ!!」
生温い舌に導かれるまま、荀彧は蜜を迸らせる。
そのすべてを、ケルピーは余すところなく啜り上げた。






既に空は黄昏の刻限を迎え、湖もまた同じ色に染まっていく。
昼から夜へと移り変わっていく湖を、主はほとりから静かに見守っていた。
その傍らには、気を失ったままの荀彧がぐったりと横たわる。

今まで戯れに手籠めにしてきた乙女や、命を奪った人間など数限りない。
ケルピーにとって人間は、享楽を満たすための矮小な存在でしかない。それ自体は今も変わらない。
だが、あの日湖で見かけたこの青年だけは。匂い立つような高潔さを纏った、この荀彧という人間だけは、違う。
最初こそ常のように戯れただけだ。しかし思いの外、その存在は甘美な果実だった。
何の達しもないまま歪な世界に巻き込んだ神たちへの恨みはあるが、今は彼に逢えたことを僥倖と思うべきか。

元の世界でのうのうと生きていたらば相見えることのなかった、異世界の青年。
今更手放す気などない。一時の慰み者にするつもりもない。
『荀彧。汝のすべては我が内。覚えておけ』
目を覚ます気配のない荀彧の裸体を、ケルピーの尾が撫で擦る。
「ん…あっ……」
潤んだ唇から、切ない吐息が洩れた。




2018/10/21

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