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曇天日和

どんてんびより

ALL STARS!!

「すまない、本っ当にすまない!!」
朝一番の大声が、廊下中に響き渡る。
声の主たる満寵は心底申し訳なさそうに手を合わせ、目の前の荀攸に頭を下げた。
「いえ、お気になさらず……折角、徐晃殿が用意してくださったものでしょう」
「うっ……まさか私も、こんなことになるなんて思わなくてさ」
もどかしそうに微笑みつつ、満寵が頭を掻く。その視線の先には、荀攸の手に握られたチケットがあった。

オールスターゲーム。それは、真夏の野球の祭典。
各球界のスター選手が一堂に揃う、SリーグとPリーグの総力戦によるお祭り試合だ。当然、チケットの抽選倍率も激戦である。
しかし荀攸(推し球団:福岡の鷹)が応募したところ、今年はきっちり四人分のPリーグ側外野席チケットを確保することができた。
野球仲間は決まっており、満寵(推し球団:千葉の鴎)も通常はメンバーの一人に数えられている。しかし、急に行けなくなったと言い出したのだ。
理由はなんと、別のチケットでオールスターに行くことになったから、というもので。
「それにしても、徐晃殿は野球ファンでした……でしょうか?」
「いや、私が時々解説するのを横で聞いてくれるくらいだよ。だから驚いてしまって」

満寵の親友であり同僚の徐晃が、オールスターチケットを購入できたので共に観戦したいと申し出てきたは、つい昨晩のこと。
しかも席は、エキサイトシート。試合を眼前で見られるうえ、グリーティングやプレゼントなど特典も様々な特等席である。
まさしく熱心な野球ファンのための席を、よもや徐晃が抽選を潜り抜けてまで用意してくれるなど。満寵にとっても、青天の霹靂だった。
「『いつも満寵殿には驚かされているので、その意趣返しにござる』だって……ははっ、まいった」
「ふっ……俺も驚きました。徐晃殿も粋なことをなさいますね」
苦笑する満寵につられて、荀攸も笑みを零す。あの真面目で一本気な徐晃に、そのようなユーモアがあるとは意外だった。
「現地で野球の醍醐味を解説する、貴重な機会ではありませんか。ぜひ、徐晃殿と楽しんでください」
「ああ、そう言ってもらえると心が軽くなるよ……本当にありがとう」
「さて……」
ポーカーフェイスを取りつつも、内心では新しく誰を誘うかと荀攸が思考を巡らせ始めた、その時だ。

「お二人とも、おはようございます」
涼やかな音色を伴う声が、背後よりかけられる。荀攸ははっとして振り向いた。
「文若殿……おはようございます」
「おはようございます。あっ、そうだ……!」
挨拶の直後、満寵の瞳が少年のように輝いた。にっこりと笑顔を浮かべて、荀彧の前に進み出る。
「荀彧殿、荀攸殿たちと野球観戦に行ってみる気はありませんか?」
「野球……ですか」
「っ、満寵殿!」
荀攸は慌てて止めようとしたが、満寵は構わず話を続けた。
「実は、いつものメンバーでオールスターに行く筈だったんですが、急遽私は徐晃殿と行くことになりまして」
「ということは……公達殿、今年はオールスターのチケットを確保できたのですね。おめでとうございます」
荀彧も、荀攸と満寵が社内における野球ファン仲間であることは知っている。
そして去年のこの時期、荀攸がオールスターのチケットを取り損ねてぼやいていたのも、しっかり覚えていた。
荀攸は驚きと少々の気恥ずかしさで、やや視線を泳がせた。
「あ、ありがとう、ございます。ただ、本人が今お話された通りで、満寵殿一人分の欠員が出まして」
「本当に申し訳ない……よかったら楽しんできてくれないかな?」
「はい。私でよろしければ……ですが、本当に私がご一緒してよろしいのですか?」
貴重なチケットですのに、と申し訳なさそうに小首を傾げる荀彧を見て、荀攸は慌てて弁解した。
「もっ、もちろんです。ぜひお越し下さい。競馬よりはずっと、健全な世界ですので……」
そう言いつつ、荀攸の内心は穏やかではなかった。成り行き上とはいえ、まさか荀彧を連れていくことになるとは。
これまで一度も、荀彧を野球観戦に誘ったことはない。その決まり悪さの方が、どうしても先立ってしまう。
スポーツ観戦の趣味がない荀彧に無理強いしたくなかった、という気持ちも真実。ただし誘うことをしてこなかったのには、もっと別な理由があった。





「おお、荀攸~!」
荀攸と荀彧がドーム前広場に着くと、既に典韋(推し球団:福岡の鷹)が待っていた。
屈強かつ高身長な体格、更には真っ黄色のユニフォームにスキンヘッドという出で立ちも手伝い、この人々の賑わいにあってもよく目立つ。
「熱男イエローでお越しになるとは、気合い十分ですね」
「当ったり前よ、三年ぶりのオールスターだしな!そういうおめぇこそチャンピオンブルーで来るたぁ、わかってるじゃねぇか」
典韋はにっと白い歯を見せながら、荀攸の肩を小突いた。荀攸も負けじと、自信ありげに頷く。
「無論、今年こそは必勝態勢です」
「へへっ、いいぜいいぜ!っと……」
ひとしきり笑った末に、典韋の目線は荀彧へと移った。
「こんにちは、典韋殿」
紺色のポロシャツ姿で微笑む荀彧の姿は、職場と変わらぬ清潔感がある。典韋も思わず背筋を伸ばした。
「こりゃどうも!話は聞いてましたが、まさか本当にお越しくださるたぁ……よろしくお願いしやす」
「こちらこそ、今日はよろしくお願いします」
互いに挨拶を済ませると、荀彧は早速目についたことについて質問した。
「お二人のユニフォームは色違いなんですね」
「その通りです。俺と典韋殿は、同じく鷹のファンですので」
「ですが、鷹のユニフォームは白地だったような……あと、黒や黄色は差し色ではありませんでしたか?」
「おおっ、よくご存じで!」
荀彧に基礎知識のあるらしいことを嗅ぎ付けた典韋は、嬉しそうにユニフォームの胸元をつまみ上げた。
「実は、夏だけの限定ユニってのがあるんですよ。わしが着てる熱男イエローの年の鷹は、リーグ優勝に日本一と無双状態だったんですぜ!」
「俺が着ているのはチャンピオンブルーと呼ばれている色でして。この年も、日本一を決めてくれました」
「なるほど。縁起の良い色というわけですね」
いかに勝ちに拘ってユニフォームを選ぶか。こういうところにもファンの熱意が反映されるのだと、荀彧は感心した。
「あ、そういえば……」
はたと気づいて、荀彧は人で溢れかえった広場を見渡してみた。
いわゆる正式な球団ユニフォームのみならず、派手なピンクや緑、紫といった色を纏ったファンもいる。思っていた以上に、女性ファンも多い。
「こうして眺めると、皆さん色とりどりですね」
荀彧の言葉に、荀攸と典韋も深く頷いた。
「今は多くの方に楽しんでもらおうと、球団側も様々なグッズを出していますので」
「昔に比べたら、女子専用のイベントやらグッズやらも増えたわなぁ」
「球団の企業努力の賜物、ということでしょうね……あれ?」
ビジネスパーソンらしい感想を持った荀彧の視線が、とある方向に釘付けになった。
荀攸と典韋も不思議に思って、そちらを向いてみる。雰囲気からして、Sリーグのファンが多そうな一角だった。
「いかがしましたか?」
「その……あのような長羽織も、販売されているのですか?」

長羽織。

「「……………………」」
その名詞が出てきた瞬間、荀攸と典韋の目にも荀彧の見ている光景が映り込んだ。それはもう、嫌になるほどはっきりと。
刹那、それまで試合前の高揚感に満ちていた二人の顔から、色が失われる。
「……ありゃあ多分、本人たちのお手製ですぜ」
「そ、そうですか!なんというかその、物々しいといいますか……」


「いよいよオールスターだなぁ。血が滾るぜぇ~っ……!絶対に、勝ぁつ!!」
「策兄様ったら、まだ始まってもいないのにはしゃぎすぎよ」
「そういう尚香こそ、昨日は眠れなかったのだろう?私もだから人のことは言えないが……」
「ははは、お前たちももう、立派な猛虎ファンの顔をしているな。今日は祭りだ、精一杯楽しむぞ!」


揃いの赤Tシャツを着た、会話からして親子とおぼしき四人組。
端から見れば、全員揃って野球を楽しむ微笑ましい家族の光景……でしかないのだが。
残念ながら、Tシャツの上より纏っている黒光りの長羽織が、彼らに堅気なファミリー感を一切与えさせていない。
しかも、だ。余裕の笑みを浮かべ子どもたちを見守る父親の背には、屏風絵のごとき猛虎と『打倒兎』の文字が刺繍されている。
どう見ても、近づいてはいけない空気だ。

「あの……兎と虎は、同じSリーグですよね?普段は敵対チームといえど、今日は共に戦う仲間ですのに。どうしてあのような……」
「文若殿、それ以上は踏み込まないであげてください」
いつになく真剣な調子で、荀攸が荀彧の疑念を制した。典韋も、激しく首肯しながら念を押す。
「虎と兎にゃあですね……どうにもならない溝っちゅうもんが存在するんでさ」
「は、はい……」
荀彧もすぐに口を噤んだ。軽率に踏み込んではいけない領域であることは、二人のただならぬ気配を見れば明らかだった。

「いやぁ、これは皆さんお揃いで」
微妙になった空気を振り払う、軽やかな声が背後よりかけられる。
三人が振り向くと、えんじ色のユニフォームを着た賈詡(推し球団:東北の鷲)がいつもの笑みを浮かべていた。
「賈詡殿。今日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ。メンバーがひとり違うだけでこんなに新鮮な光景になるとはね」
このような場所でも居住まい正しき荀彧を眺めて、賈詡は軽快に笑った。
「おめぇ……いい大人なんだから、連絡のひとつくらい寄越しやがれ!」
「5分遅刻です」
遅れてきたというに悪びれる様子が見られないことに、典韋と荀攸は揃って目を怒らせた。
しかし、賈詡はわざとらしげに肩をすくませたかと思うと、口角をさらに吊り上げる。
「いやはや、5分くらいでそう目くじら立てなさんな。せっかく、今日のつまみ代を稼いできたってのに……」
賈詡の懐から出てきたのは、どこにでもある茶封筒。しかし異様に厚みがある。
その中身を真っ先に察知した荀攸は、苦い顔をした。
「まさか……」
このドームの敷地は広い。遊園地やショッピングモール、そして、場外馬券売り場まで存在している。
賈詡が歩いてきた方向の背後には、かの場外馬券売り場のビルがあった。つまり。
「あははあ、ご明察!」
荀攸の反応を待っていましたとばかりに、賈詡の高笑いが響いた。
「いや、大漁大漁。13番人気の単複に馬連と三連複、いただきだ!夏競馬は穴党に優しいねぇ」
「っ……」
「お、おめでとうございます」
荀攸はもちろんだが、事の重大さをそこそこ理解できた荀彧も思わず面食らう。
唯一、ギャンブルの類いは一切しない典韋だけが、それがどうしたと言わんばかりに鼻で笑い飛ばした。
「ふん、バクチで増やした金なんざ、しょせん泡銭よ。荀攸、おめぇも競馬であんまり羽目外すんじゃねぇぞ」
「…………ご忠告、痛み入ります」
荀攸はばつの悪い顔を浮かべて視線を落とした。春競馬の収支はマイナスだっただけに、非常に耳が痛い台詞である。
「泡銭だからこそ、ここでパッと使う意味があるもんだ。さ、役者が揃ったところで入場といきますか」
「遅れておいて何を偉そうにぃ!」
入場列へ向かうべく踵を返した賈詡に、典韋は悪態をつきながら続いた。荀攸と荀彧もその背を追う。

「……まさか、あのお二人が共に野球ファンとは」
憎まれ口を叩き合う前の二人を眺めながら、荀彧は小声で荀攸に話しかけた。
荀攸は頷きつつ、やや重い溜め息をつく。
「推し球団は違うので、顔を合わせればあの通りですが」
「ですが、共通の趣味で繋がれるというのは楽しいものですね」
「……ええ、まあ。確かに」
そういう好意的な見方もあるのかと思ったが、確かに荀彧の言う通りでもある。
典韋、賈詡、満寵、そして荀攸。生まれも育ちも世代も嗜好もバラバラ、働いている部署も違う者同士、これといった共通点もなく。
そんな人間同士でも繋ぎ止め、不思議な連帯感を生んでくれるのが、趣味の世界なのかもしれない。



~試合開始~

「ではまず、今年オールスターに来れたことを祝して……乾杯!」
「「「かんぱーい」」」
1回表、Pリーグの攻撃が開始したのに合わせて、賈詡が音頭を取る。互いにビールを突き合わせ、一杯目を飲んだ。
「絶対にわしらが勝つぜ~!っしゃ、オラぁぁあ!!」
「「「「「うおおおおおおおおおお」」」」」
ひと息で飲み干した典韋が景気よくメガホン片手に叫べば、周囲のファンも得たりや応と声を上げる。
球団ごとの応援団が団旗を掲げると、早くも外野席は熱気に包まれた。
「テレビ画面越しに見るのとはまったく雰囲気が違いますね。ここまで反響が凄いと思いませんでした……」
荀彧は少しばかり当惑しつつ、ファンで埋め尽くされたスタンド一面を見渡した。
老いも若きもめいめいに声援を送り、応援歌で盛り上げ鳴り物の破音がぶつかり合う。その圧力たるや、凄まじいものがある。
「すみません、慣れていない文若殿は耳が疲れるかもしれませんが」
「あっ、大丈夫ですよ。少し驚いてしまっただけで」
「おっと無理は禁物だ。この球場内には食事処やショップもたくさんあるんでね、疲れたら好きに見てくるといい。ほら、ここに軍資金もたんまり」
そう言うと、賈詡は不敵に笑いながら鞄の中を叩いた。今日のお代は全部持つ、と言いたいらしい。
事実、ここまで座席に持ち込んだ飲食物の支払いはすべて、賈詡の”泡銭”で済ませているのだが。
「そこまで言っておいて、後で無理難題押しつけるのはナシですからね」
荀攸が横から釘を刺した。賈詡相手になると、つい棘のある物言いが多くなる。
「荀攸殿の疑り深さは相変わらずだねぇ。さっきも言ったろう、”泡銭”だからこそパッと気持ちよく使いたいのさ」
「おめぇら、ごちゃごちゃうるせえぞ!ほら荀攸、さっそく若鷹軍団一番手のお出ましだ!準備しろやい!」
「ああ、すみません!」
典韋にけしかけられた荀攸は、弾かれたように席から立ち上がった。それが、スイッチだったか。
「公達殿……?」
荀彧は、荀攸の目つきが明確に変わったのを感じ取った。

「い・ざ・ゆ・け・わっかたかーー!Sリーグたっおっせーーよーーーー!!」

周囲のファンと一体となって応援歌を歌い上げ、マウンドの選手へと声援を飛ばす。
体格のアドバンテージがある典韋に勝るとも劣らない、腹の底から響く声だ。
日頃、黙々と仕事をする姿からも、そしてこれまでの親類付き合いからも想像つかない、まったく新しい荀攸の姿。
「んー……荀彧殿には刺激が強過ぎたかな?この荀攸殿は」
何も言わずに見つめる様を心配したのか、賈詡がこっそりと耳打ちしてきた。
我に返った荀彧は、慌てて首を振る。
「あっ、いえ。先日競馬場でも、なかなか激しく叫ぶ姿を見ました。ただ、これほど楽しそうに声を出す公達殿は初めてかもしれません」
「ふーん?そうかいそうかい。まあドン引きしてないならよかったが、でもこの先は覚悟しておいた方がいいかな」
「え?覚悟とは?」
「まあまあ、見てればわかる」
賈詡は悪戯っぽく笑うと、杯に残っていたビールをぐっと飲んだ。

~3回終了~

マウンドではチアリーダーとマスコットのショータイムが始まった。
それに合わせて、ドームのビジョンには客席のファンたちが映し出される。すると。
「あ……徐晃殿と満寵殿ではありませんか?」
荀彧が目聡く気づいて声を上げた。
ビジョンにはエキサイトシートのファンたちが映っており、その中に徐晃と満寵がいる。二人とも鴎のユニフォームを着ており、徐晃はホームの白、満寵はビジターの黒だ。
徐晃はビジョンに映る自分たちに気づいて満寵に声をかけているようだが、満寵は手にしている野球名鑑と徐晃とを交互にしか見ておらず、何やら話し込んでいる。
「カメラには……気づいてなさそうですね」
「ここぞとばかりに蘊蓄語るのに一生懸命なんだろう。誘った側とはいえ、徐晃殿も大変だね」
「まーったく、あいつらしいや。エキサイトシートで文字通りエキサイトしてんな」
結局カメラが切り替わって別の席の映像になるまで、満寵は正面を向こうとしなかった。よほど徐晃への講義に熱中していたようだ。

~5回表~

ここまで0-0で推移していた試合が、一気に動いた。
「よっしゃ、レフト抜けたあああ!」
先頭打者の長打が飛び出し、ツーベースヒットとなった。ノーアウトランナー二塁、絶好の得点チャンスだ。
「こっから一気に畳み掛けてやれーぃっ!」
典韋が吠えるのと、ほぼ同時であった。荀攸はおもむろに自分のリュックを開けた。
「え、公達殿。それは……ちょっ、公達殿!?」
荀彧は仰天した。荀攸は突如、リュックから引き出したものを、その場でがばりと被ったのだ。
鮮やかなチャンピオンブルーの鷹ファンから一瞬にして、真っ黒なユニフォーム姿に早変わる。それは満寵が着用していたものと同じ、千葉の鴎。
「えっ、えっ。公達殿、鴎の球団のファンでもあるのですか?」

「海原駆けゆけカ・モ・メ!Sリーグたっおっせーーーーよっ!!」

荀攸は、荀彧の問いかけには答えなかった。というより、聞こえていないようだ。
前後数名の鴎ファンと寸分違わぬ応援パフォーマンスを繰り広げる。ご丁寧に、鴎球団のスポーツタオルを掲げてまで。
「あっはっは、やっぱオールスターはこうでなくっちゃなぁ!荀攸、もっとやれ!」
いきなり他球団ファンの姿になってしまった荀攸に怒るでもなく、典韋は豪快に笑ってみせた。どうも、慣れている様子だ。

「……ね?これが野球場の荀攸殿」
今度こそ呆気に取られた荀彧の肩を、賈詡がぽんと叩いた。
「あ、あの……私、公達殿は鷹のファンとしか聞かされていないのですが……」
「あー、その認識で合ってるよ。ただなんせこう、荀攸殿は……Pリーグ球団の応援だったらどこだろうと一定以上はこなせるってスキル持ちでね。そんな彼の野球オタクぶりが一番発揮されるのが、この全球団が揃うオールスターってわけ」
「なる……ほど……」
賈詡の説明で、なんとなく荀彧も察した。どうやら荀攸の野球愛は、こちらの想像の遥か上を行くらしい。
「どこの選手の打率が何割だ防御率がどれくらいだ現役何年目だ果ては出身校は、なんてデータベース的な話になってくると、満寵殿の方に一日の長があるかな。まあ俺からしたら、どっちも筋金入りだよ。流石に俺は、そこまで入れ込める歳じゃないからね」
口調こそ軽快だが、チップスを食べる賈詡の笑顔は若干引きつっていた。
年長の賈詡から見れば、荀攸たちの熱の入れ方は相当なものに見えているらしい。多少の温度差も已む無しといったところ、だろうか。
荀彧がそう、結論を導きかけた直後だった。
「おーっとフォアボールか!これでノーアウト二塁一塁、面白くなってきた!」
鴎の選手が、バッターボックスから一塁に向かって走っていく。それまで比較的落ち着いていた賈詡のテンションが跳ね上がった。
見れば、次にコールされた打者は東北の鷲の選手である。
「賈詡殿、なにを余裕で座ってるんですか。ここで一発決めていただかなくては」
「え……ええーーっ!?」
横から厳しい声が飛んできたと思って振り返れば、また荀彧は仰天した。今度は賈詡と同じ、えんじの鷲ユニフォームを来た荀攸がそこにいるではないか。
手にはこれまた、えんじ色のメガホンが握られている。一体、いつの間に。
「はーいはい、鷲がPリーグの足手まといじゃないってところを証明してもらいますか」
賈詡も不敵に笑って起立し、座席間に挟んでいたメガホンを掲げる。唖然とする荀彧をよそに、両隣は特大の音量で応援を始めた。

「「羽ばたけー仕留めろー北の鷲ー!!ここーで一発、ぶっ飛ばせーーーーぇっ!!」」

「っしゃおらああああ!いったれーーーー!よっしゃーーーー!!」
皆の応援が通じたのだろうか。鷲の選手の打った打球が、勢いよく三遊間を貫いた。
その間に、二塁の打者が生還し、一塁の打者が一気に三塁へ。Pリーグがついに先制点を挙げ、外野席が熱狂に包まれる。
「あっははあ、それでこそ鷲の雄!このまま調子上げて、優勝争いまで食い込みたいところだが」
「ああん!?寝言は寝て言えや!」
「何を仰るのか、鷹の王座は絶対に揺るぎません!」
他球団ファン同士らしく火花も覗かせてはいるが、それすらもこの熱狂に添える一花か。
それぞれにテンションは一気にぶち上げ状態だ。その中で、ひとり荀彧は気まずげに烏龍茶で喉を潤す。
「……………………」
荀彧は確信した。この方々、根っこの温度差はまったく一緒だ。

その後も、Pリーグは怒涛の進撃を続けた。
ホームランこそ出ないが、ヒットで確実に繋いで、打者を生還させる。気づけばこの回だけで、景気よく一挙5得点だ。
この間、マウンド上に選手が立つたび荀攸がユニフォームの早着替え芸を披露し、典韋が周囲一番の大声で応援を盛り上げ、鷲の選手の番手時のみ賈詡が子どものようにはしゃいでいたのは言うまでもない。

~6回終了~

「おっと……つまみもなくなってきましたか」
唐揚げの入っていたプラスチック容器が空になったことに、最初に気づいたのは賈詡だった。
「そういや、枝豆もチップスもねえな」
「あ……そうしましたら、私が新しいおつまみを調達してきますね」
荀彧が立ち上がると、典韋と荀攸は慌てて引き止めてきた。
「待ってくだせぇ。初めて野球見に来てくれたのに、そんなパシリみてぇなことさせられねえや」
「文若殿、買い物なら俺が」
「い、いえそんな。お気になさらないでください」
「……そうしたら、お言葉に甘えて行ってきてもらいますか。はい、よろしく」
賈詡は鞄から例の茶封筒を取り出すと、荀彧に放るように渡した。その分厚さに、荀彧は困惑する。
「あの、賈詡殿……これだけの大金を持ち歩くのは不用心ですから……では、少しばかり頂戴します」
律義に一万円札を一枚だけ引き出すと、荀彧は丁重に封筒を返却した。そのまま、足早に席を離れて買い物に行ってしまった。

「賈詡殿……」
「いやぁ~荀彧殿も、俺たちのテンションに引き気味だったようなんで……気晴らしさせてあげようと思ったまでさ」
「っ!」
喉まで出かかった文句が、賈詡の思わぬ一言で押し戻される。
そういえば、だ。席を立とうとした荀彧の目は、泳いでいなかったか。もしかして、疲れていたのではないか。
第一、席についてから彼とまともな会話をした覚えがほとんどない。そこに思い至った瞬間、荀攸の顔がざぁっと青ざめる。
「……まずいことをしました」
「確かに。わしら、ちいとはしゃぎ過ぎたか……」
荀攸と典韋は、二人して肩を窄めた。三年ぶりのオールスター参戦とあって、思いのほか白熱していた自分たちに気づく。
Pリーグが今のところ優勢なことも、更に拍車をかけてしまったようだ。
というのもこのメンバー、オールスターに限っては現地勝利を拝んだ経験が一回もないのである。
それだけに、今年こそはという思いがとても募っていた。募り過ぎて、この通りの状況を作ってしまったのだが。

(こうなることがわかっているから、今まで誘わなかったのに)

悪い癖だ。ひとたび試合が始まってしまうと集中し、なりふり構わなくなる。自分でも驚くほど、感情をむき出しにしてしまうのだ。
そんな姿を荀彧に見せるのはいい大人として気恥ずかしく、また失礼だとも感じていた。
だからこそ荀攸は、暗黙の了解を課していた。野球観戦だけは一人、もしくは話の通じる者同士で来るものだと。
「文若殿に……申し訳ない」
「まあまあ、そう気落ちしなさんな。帰ってきたらちゃんと謝ればいい。おっとお姉さん、ビールちょうだい」
近づいてきた売り子の女性に気づくと、賈詡は手を上げて呼び止めた。
消沈しかけた荀攸の眼前に、購入したビールコップを突き出してにやりと笑いかける。
「ほら、オールスターもいよいよ終盤戦だ。今年こそ勝つんだろ?」
「……はい」
荀攸は渋々受け取り、口をつけた。飲み慣れている味が、妙に苦く感じた。



「どうしましょうか……」
目の前のグルメスタンドの連なりを端から眺めて、荀彧は逡巡していた。
焼きそばやホットドッグなどの食事を取り扱う店も多い。時間的にもこういうものを買うべきだろうか。
(いや……そんな余裕もありません、よね)
次はもう7回である。三人の様子から察するに、今更ご飯という感じでもないだろう。

それにしても、である。
まさか、荀攸があのように感情を爆発させるなど、想像もしていなかった。
競馬の際も驚いたものだが、あれは今思えば瞬間的な熱量で。野球の場合は、エンジンがかかってからはアクセル踏みっぱなしといった向きだ。
(私も存外……公達殿のことを知らないのですね)

最初の出会いは互いに幼い頃、一族の法事の場だった。あれから実に20年以上にはなろうか。
ただし荀攸は分家筋かつ、父を早くに亡くしたとあってか、一時疎遠だったことがある。巡り巡って再会したのは、荀攸が成人した後。
国立大学を首席で卒業し、老いた母を連れて祖父の十七回忌の場に現れた彼に、一族皆が驚いたものだ。
以降、再び親戚の集いには顔を出すようになり、交流も復活した。言い換えれば、学生時代の期間がごっそり抜け落ちているのである。
今でこそ縁あって同じ会社で日々働き、同僚らも交えた密度の濃い付き合いをしている。しかし意外にもパーソナルな部分に触れる機会少なく、ここまで来ていることに気づかされた。
「公達殿……」
申し訳なさと寂しさが、荀彧の胸を覆った。疎遠な時期こそあるが、顔を合わせばいつも優しく、親切にしてくれた思い出ばかりなのに。
内心では、兄のように慕い尊敬している人の人となりを、自分は正しく理解していなかった。
(もしかしたら、気まずい思いをさせてしまったやも……)
正直なところ、今日の荀攸のテンションには若干引いてしまった部分もある。しかし人が何を好きになるかは自由だし、そこにかける熱量も様々だ。
何も知らずに彼の領域に踏み込んで、淡白な態度を取ってしまったのでは失礼にもほどがある。もしも、悟られていたら。

「?」
カツ、と爪先に何かが当たる感触があったので、荀彧は足許に視線を落とした。
見れば五百円玉が一枚落ちている。そのことに気づいて拾い上げた直後、前方から声をかけられた。
「あの、申し訳ありません。そちら、私が落としたものです」
前を向くと、すっきりとした顔立ちの美少女が立っていた。猛々しい昇竜があしらわれた青いユニフォームを着ている。
「あ、はい。どうぞ」
「ありがとうございます。大変、失礼いたしました」
少女は、懇切丁寧な口調で礼を述べた。学生かとは思うが、妙に大人びている印象だ。
少女が五百円玉を財布にしまっていると、その背後に同じ昇竜ユニフォームに野球帽姿の少年がのっそりと現れた。
「星彩、すまないなぁ。私がうっかり手を滑らしてしまったばかりに、そなたに面倒をかけた」
凛としている少女とは対照的な、穏やかな面立ちに鷹揚な声の持ち主だ。歳は少女と同じくらいだろうか。
「いいえ、私こそ不注意でした。申し訳ありません」
「え……」
てっきり年頃のカップルかと思いきや、その印象からはかけ離れたやり取りだ。一体どういう間柄なのだろう。
わずかに戸惑う荀彧に対し、少年は脱帽してゆっくりと頭を下げた。
「拾っていただき、ありがとうございました……うっかり、父上へのお土産を買えなくなるところだった」
「では、劉禅様」
「ああ……行こうか。それでは、失礼いたします」
少女に促された少年は再度頭を下げると、またゆるやかな動作で野球帽を被り直した。

(野球帽……)

それは突然だった。少年の野球帽を目の前にした瞬間、荀彧の脳裏にある光景が蘇る。
まだほんの幼い頃の。原初に近い、懐かしい景色。

(すっかり……忘れていました)
不思議な少年少女の背を見送りながら、荀彧はようやく思い出すことのできた幼年期へと想いを馳せた。



~7回裏~

「「…………」」
「ん~……こいつはまずいことになってきたな」
スコアボードは5-3となっている。先ほどまでの興奮の坩堝からは一転、Pリーグ外野席は静まり返っていた。
典韋と荀攸は憔悴して席に座り込み、賈詡も渋面になりながら顎鬚を撫でる。
さすがはオールスター、Sリーグもやられっぱなしではない。ツーアウトまで追い込んだはいいが、そこからが長かった。
次の打者が出塁すると、次はヒットが飛び出し、そして悪いことにSリーグ屈指の首位打者が特大ホームランをかましてきたのである。
どうにか後続は断ったものの、終盤戦でこの失点は痛い。ましてPリーグは表の攻撃なので、サヨナラ負けの危険が潜んでいる。
「あぁ~、このままセーフティーリード取っておきたかったのによう」
典韋が悔しさを露わにガリガリと頭を掻く。荀攸はといえば、今日何杯目かわからぬビールを呷るも、その目はどんよりと曇っていた。
また、オールスター現地で勝てない症候群は続くのか。今年負けたら、実にジンクス継続8年になってしまう。

「お待たせしてすみません、戻りました」
澱んだ空気を払うかのように、荀彧が席まで戻ってきた。
「賈詡殿、こちらお釣りをお返しします。今日は本当にご馳走様です」
「いやいやご丁寧に。なんだ、もっとパーっと使ってきてくれてもよかったのに」
「そういうわけにも……皆さん、どうぞ召し上がってください。それと、こちらもどうぞ」
フライドポテトや枝豆といった定番おつまみの他に、荀彧は塩レモンのタブレットを三人に配った。
「こりゃあすいやせん。わざわざ」
「さすがは荀彧殿、俺たちおっさん共の体力ゲージも見越してましたか。ありがたく」
「文若殿……あの……ありがとうございます。今日は本当に……すみません」
心遣いに気恥ずかしさを覚えながら、荀攸は謝罪した。典韋と賈詡も、一緒になって畏まる。
「本当に、すいやせんでした……基本ルールはご存じだからってんで、ついこっちもろくな気遣いもせずノリノリで」
「俺もなんだかんだ調子乗って申し訳ない。お詫びに、明後日の昼飯は奢らせていただこうかと」
「貴方を放り出して……年甲斐もなく騒ぐ姿を見せてしまい、お恥ずかしい限りです」
さぞ、ここまでつまらない思いをさせたことだろう。怒られるのも覚悟していた。
ところが荀彧から返ってきたのは、想像もしていなかった言葉だった。
「いえ、そんな!私こそ、ここまで淡白な反応ばかりですみませんでした。それに、特に公達殿には……私こそ謝らなくては」
「え?ま、待ってください。どういう……」
何故、荀彧が謝るのか。慌てふためいたが、荀彧は折り目正しく頭を下げた。

「公達殿が、御幼少より野球ファンでいらしたこと。お父上も野球好きでいらしたことを、恥ずかしながら忘れていました。本当にすみません」

「っ……文若殿……」
今度こそ、荀攸は茫然となった。
確かに荀彧の言うとおり、自分は昔から野球が好きだった。それも間違いなく、父の影響である。
しかし父が亡くなったのは、それこそこちらが小学生の時分であり、荀彧に至っては物心つくかつかないかという頃の筈。
荀彧が父を覚えていなくともまったく不思議ではないし、親子揃って野球好きとはっきり語った覚えもない。なのに、どうして。
途方に暮れている荀攸に向かって、荀彧は少し照れながら微笑んだ。
「実は先ほど、真っ青な野球帽を被った男の子を見かけて。それで思い出したのです。公達殿も、青い野球帽を被って、お父上とキャッチボールしていたのを」
「あ…………」


お盆休みの折、亡くなる前の父に連れられて本家の屋敷を訪問した年がある。
子ども心に、分家としての肩身の狭さは感じていた。そのことは父も薄々嗅ぎ取ってはいたのだろう。
無理に連れてきた詫びのつもりか、墓参りを済ませた父は、急に近くの河原まで連れ出してくれた。自宅ではできないぶん、ここでキャッチボールをしよう、と。

『攸……お前も強くなったじゃないか。もう、野球選手は目指さないのか』
『……俺も、もうそんな夢見るほど子どもじゃないです』
『よく言うよ、子どものくせに』
『…………』

当時父は病院通いを繰り返していたし、この年頃になれば自分にセンスがないことくらい悟る。だからわかっていた。
別に自分の投げる力が強くなったのではない。父の受け止める力が弱くなっただけであることを。
その現実と向き合わざるを得ないキャッチボールに、段々嫌気が差してきた時だった。

『攸にいさま!かっこいいです!』

かわいらしい声で呼びかけられて、慌てて振り向く。
いつの間に来たのか。日除けの麦わら帽子を被った荀彧が、きらきらと目を輝かせてそこにいた。

『彧坊ちゃま……!』
『おじさま、こんにちは。ええと、これは……そうだ。やきゅうですよね。おふたりともおすきなのですか?』
『は、はい……まあ……』
『おい攸、何ボサッと突っ立ってるんだ。ちゃんと挨拶しろ!』
『っ、すみません!』

父にどやされ、慌てて被っていた青い野球帽を脱いだ。
そんな決まりの悪い姿にすら、荀彧は屈託のない笑顔を浮かべる。

『攸にいさま、おじさま。もっと、やきゅうをみせてくださいませんか。なげるところ、かっこよくて』
『は、はい。直ちに……攸、彧坊ちゃまの前で恥ずかしい姿は見せるなよ。精一杯やれ』
『は…………はい!っ……はぁっ!』

日に日に痩せ衰えていく父と、いつまで経っても上達しない息子。
そんな二人のキャッチボールなど、傍から見れば不格好そのものであったろう。それでも懸命に、無心で投げ続けた。

『攸、もっとだ……もっと、投げてこい!』
『わあ~……すごい。すごいです!おじさまも、攸にいさまも!』
『……ありがとう、ございます』
『はっはっは、やっと本気になってきたな。やっぱりいいもんだろう、野球は!』
『…………っ』

長引く治療の影響で枯れた声ではあったが、父は楽しそうに笑っていた。それが無性に悲しくて、嬉しくて。
あの日、あの時。次の夏の景色を決して思い描けぬ寂寥の中、それでも最後に全力で野球の楽しさを、親子の時間を分かち合った。
しがらみなどに毒されぬ、自分たちを純粋に見つめる小さな存在に見守られながら。
とびきり暑い、夏の日だった。


「……まさか、覚えていてくださったとは」
「公達殿にとってどれだけ野球が大切か……ようやく思い出すことができました」
「そんな……いや、そこまで言っていただくほどでは……その……」
まっすぐに見つめられてしまい、むず痒い心地になる。そこまで高尚な捉え方をされるのも、気が引けた。
ただ、野球がかつての親子の鎹であり、今やすっかり熱狂的ファンとなった己のルーツになっていることは間違いなくて。
自分自身ですら既に遠くなっていた記憶を、彼は思い出してくれた。ただ、それだけで十分だった。
感慨に胸を詰まらせた荀攸の肩を、典韋がばしりと一発叩いた。
「なんだよ荀攸、よかったじゃねえか!こんなにわかってもらえてよう!」
「いや、あの……はい……」
しどろもどろになる荀攸を見て、賈詡もにんまりと笑う。
「いやいや、心配していたが杞憂に終わって何よりだ。さあ、なんとか凌いで、荀彧殿に勝ち戦を見届けてもらうとしますか」
「……はい」
「よっしゃ!」
ウグイス嬢が、8回表の先頭打者をコールする。鷹の若手選手だ。
荀攸たちはレモンタブレットを頬張りつつ、再び気合いを入れて立ち上がった。酸味が、疲れた体に沁みる。
「では、私も」
それまでずっと座っていた荀彧も、立ち上がった。
「文若殿……」
「その、歌やかけ声などはわかりませんが……精一杯、応援させていただきますね」
はにかみながら、鳴り物の音に合わせて荀彧も拍手を始めた。その温かな優しさが、しなびた胸に沁みる。
「っ…………い・ざ・ゆ・け・わっかたかーーーーーー!!
体を震わせながら、荀攸は叫んだ。それに合わせて、ややダレ気味であった周囲もヒートアップしていく。
再びPリーグ外野席が熱く燃え上がるのに、時間はかからなかった。



~9回裏~

8回には両チームとも得点を重ね、スコアは7-5。そして、ツーアウト三塁一塁。
凌げば勝利、長打が出てしまえば逆転サヨナラという、際どい局面を迎えていた。
Sリーグ側外野席は、今や最高潮の盛り上がりを迎えており、六球団ぶんの旗が激しく舞い踊っている。
あの集団のどこかには、明るくも物騒な猛虎ファミリーに、主人と従者のような昇竜のカップルがいて。それぞれ、逆転勝利を信じ願っているに違いない。
されど、やはりここまできて負けられない。勝利を熱望しているのは、こちらも同じなのだから。
「頑張ってください……!」
荀彧もいつの間にか、固唾を呑んで鷹の投手に祈りを捧げていた。
言わずもがな、荀攸、典韋、賈詡の三人は、阿修羅のような目つきで一挙手一投足を見守っている。

「あとふたつ……あとふたつ……」
年長者らしい余裕もかなぐり捨て、賈詡は空になったビールコップを握り潰していた。

「よぉし!!よし、よし、よぉしっ!!」
ストライクカウントが灯り、典韋は今日一番のガッツポーズを見せつける。

「あと、ひとつ……」
地の底を這うような低音で、荀攸がカウントをコールした。鷹の投手が鴎の捕手のサインに頷き、いよいよ大きく振りかぶる。

((((入れ!))))

四人の心の声が、ついに一致した瞬間だった。


「ぃよっしゃぁああああああああああ!!」
典韋が叫ぶと同時に、Pリーグ外野席が揺れた。最後は空振り三振、ゲームセット。Pリーグの勝利である。
「いや~オールスター現地勝利か……!やれやれやっとだね」
緊張感から解放された賈詡は、席にどっかと座った。残りの枝豆を感慨深げに頬張る。
「や……やりました。やりましたね、公達殿」
勝利を掴み取った選手たちに惜しみなく拍手しながら、荀彧は横の荀攸を見た。そしてまた、仰天した。
「えっ、公達殿!?」
てっきり、感情を爆発させて喜んでいるものと思った。しかし荀攸は、泣いていた。
拳をぐっと握り、こらえるようにして男泣きをしている。
「こ、公達殿……あの、だいじょ」
「勝ったぁーーーーーーーーーーーーーー!!」
「うわぁ!?」
いきなり雄叫びを上げたかと思いきや、荀攸はわき目も振らず荀彧に抱きついてきた。
「勝った、勝った、勝ちました!うわぁああああああっ!」
「こ、公達殿落ち着いてください」
「あーっ、少しばかり勘弁してやってくだせぇ!わしら、オールスターの勝利見届けるの初めてなんですわ」
典韋がすまなそうに手を合わせれば、賈詡もやれやれといった調子で苦笑いを浮かべる。
「今は思いっきり浸らせてやってくれ。なんせ負けた帰り道は、俺のせいで負けたーって卑屈なこと言う御仁なもんで」
「公達殿……そんなことありませんよ。今日はこうして勝ったじゃないですか」
苦笑しつつ、荀彧は宥めるようにして荀攸の背をさすった。しかし感極まっている荀攸はなかなか止まらない。
荀彧を抱きしめる腕により一層力を込めて、何度も何度も礼を繰り返す。
「ありがとうございます、ありがとうございます!これも文若殿のおかげです、ありがとうございます!」
「え?いえ、そんな」

「文若殿は、勝利の女神ですーーーーーーっ!!」

喜びに賑わう喧噪の中放たれただけ、まだよかったかもしれない。周囲から奇異の視線は受けなかったが。
「女神、て……私、男ですよ……」
あらぬ例え方をされた荀彧の頬は、なんともいえない恥ずかしさで紅く染まっていく。
「女神とはこりゃ傑作だ。勝ちは荀攸殿にとって、一番強力な酒だったかね」
「いや、最後の方どんだけ飲むんだよってくれぇビール飲んでたせいだろ……今頃ツケが来たかぁ」
賈詡と典韋も、これには呆れ果てた眼差しを送った。人は、自分よりもおかしいテンションの人を見ると冷静になれる生き物だ。
ひとまず放っておくという選択肢を取った二人は、勝利の余韻もつかの間帰り支度に取りかかる。

「こ、公達殿。お願いですから、そろそろしっかりしてください……」
「うううう、文若殿~~文若殿~~」
「……っ、ふふっ。あはは。もう、公達殿ったら」
もはや、ここまで来ると笑うしかなかった。
こんなにも激しくて、面白くて、情けなくて。人間味のある甥など、見たことがない。そして、愛おしい。
もっと早くに知ることができていたら、という思いはあるけれど。それはまた、これから少しずつ。

「公達殿……ぜひまた、私を野球にも誘ってくれますか?」
「は、はい!もちろんです!文若殿がいれば、毎回勝利間違いなしですから!勝利の女神ですから!」
「だから、女神はやめてくださいって……酔い過ぎですよ、公達殿」
この赤ら顔だ。こんな頓狂なやり取りをしたことなど、明日には忘れていそうだけれども。
それでも嬉しかった。近いようでいて遠い存在であった彼に、またひとつ近づけた気がする。
この先も、こんな風に。若い頃の分まで、もっともっと、同じ時間を共有して、理解を深めていけたら。



「今日の試合は実に見どころが多かったよ!ただ両陣営とも投手交代のタイミングで思ったより粘れなかったというか。まあその分、最後の鷹の彼が光ってたわけだけど。さすがチーム防御率2点台後半、鷹の牙城を崩すのは難しいなぁ。しかしうちの鴎も当分守備が安泰なのはわかったし、あとは」
「拙者には、少々説明が理解しづらい部分もあったが……満寵殿が今日の試合に満足できたなら何よりでござる。拙者も、プロの磨き上げられたプレーの数々を間近で観戦でき、胸が熱くなり申した」
「ほ、ほんとかい!?それこそ私が大満足だよ!こんなに楽しめたのも、もちろん徐晃殿のお陰だし……特典チケット、本当にありがとう!」


「あーん、悔しいっ!絶対に逆転できると思ったのに、他が踏ん張ってくれないから!今日なんて、うちと竜くらいしか頑張ってなかったじゃない」
「まったく、尚香の言うとおりだ。肝心な時に兎が不甲斐なかったのは嘆かわしい。ですが……我が猛虎は頑張りましたな」
「ああ、最後に結構、追い上げたじゃねえか。ま、それだけに悔しいけどよ。これは絶対後半のペナントでも生きるぜぇ!なあ親父!」
「そうだ、お前たち。猛虎の若き牙が見れただけでも、今日は御の字としようじゃないか。さあ、帰るぞ!」


「劉禅様、勝ち試合とはならず残念でしたね」
「うむ……だが、勝負事とはこういうものだから仕方ない。しかし私は、父上へのお土産を買えたし、そなたと遊びに来れただけでも満足だぞ」
「……ですが、その。劉備殿へのお土産は、兎球団の人形焼きでよろしかったのでしょうか」


「さぁて、せっかくオールスター現地勝てないジンクス破った記念の日だ!まだまだ”泡銭”もあるし、どっかで飲み直しますか?」
「おんめえ、この荀攸の状態見てよくそれが言えるな!今日はもうひとりで帰った帰った!」
「て、典韋殿すみません、負ぶっていただいて……ほら公達殿、いい加減になさってください。もうすぐ駅ですよ」
「うう~~文若殿~~勝ちました~~勝ちましたよ~~」



真夏の祭典が、終わりの時を告げる。
ここに集ったすべての人々に。熱く、忘れられない思い出を残して。




攸彧の日現パロ企画に寄稿させていただきました
2020/07/23

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