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曇天日和

どんてんびより

藍より青き我が光明

「彧殿、よろしければこちらを受け取ってください」
荀攸が徐ろに差し出したのは、真っ青に染め抜かれた絹だ。
例えるならばそれは夜明け、太陽を東に迎える直前の。ほんの一時、深く色濃くなった天藍の色。良質な藍をふんだんに使用しなければ出せない色である。

「攸兄さ……あっ、失礼しました。公達殿こちらはいったい……」
つい諱を口にしかけるほど荀彧は慌てながら、目の前の見事な青を見つめた。驚きと戸惑いに揺れる瞳で絹に見入る若き叔父の様に、思わず荀攸は苦笑する。
無理もない。出仕して以来の帰郷で久々に顔を見せた甥の手土産がよもや絹布とは、いかに聡明な彼とて想像もつかなかったであろう。
我ながら似合わぬことをしたものだと今更軽く羞恥を覚えつつ、荀攸は口を開いた。
「洛陽で買いました。まあその、初出仕の禄も思った以上に出ましたので」
「そんな……大事な俸禄ですのに、何故……」
「大事な禄だからこそ、よりよい使い道を選んだ結果です。酒と飯と書にすべて消えるよりはずっといい。それに……」
申し訳なさから受け取れずにいる荀彧と目を合わせて、荀攸は薄く微笑む。
たった数年前まで見下ろし見上げる関係だった目線は今や、同じ高さだ。越されるのも最早時間の問題だろう。寂しくもあり、それを補って余りある喜ばしさが胸を巡る。
「俺の想定通りです。少し見ない間に大人になられて」
「い、いえ……背丈ばかり伸びてしまって、お恥ずかしい限りです」
「ですので、そろそろ服の丈も合わないものが増えてきたのではないかと」
「えっ、ではこちらは……っ」
すぐさま理解した荀彧は、切れ長の瞳を大きく見開かせた。貴重な俸禄に代えてまで絹を贈り物としてくれた、その意味に言葉を詰まらせる。
「俺と違って、彧殿はこれより更に成長される筈です。僭越ながら……仕立てる際はなるべく、身丈に余裕を持つよう針子にお伝えするとよろしいかと」
僅かに視線を落とした荀攸の目に入り込んだは、装束の裾から露わとなった踝。若枝のようにすらりと伸びた足首に一瞬、脈が跳ねるのを感じて。
しかし平静を装っている甥の心内に分け入る術などなく、荀彧はただただ喜びに満ちた笑みを浮かべた。
「ありがとうございます……! 実はおっしゃる通り、近頃また丈が合わなくなってきたところだったのです。今着ているこれなど、たった半年前に仕立てたばかりですし、色も肌触りもよく気に入りの一枚なのですが」
「では尚更ですね。遠慮せず使ってください」
「はい……公達殿、ありがとうございます。ご忠告に従い、余裕を持たせて仕立てていただくようにしますね。こんなに素晴らしい頂き物です、長く着られるように……」
嬉しさに声を弾ませながら、荀彧は絹を受け取って広げてみせた。自らの衿元に合わせ、荀攸の方を伺い見る。
「いかがでしょうか、公達殿」
「……ええ、いいですね」
白く瑞々しさを湛えた若い肌に、色濃く染まった青が重なって。その眩しく美しい対比にこそ荀攸は目を細めた。
 

洛陽の露店で初めて絹を見た際の、えもいわれぬ衝動を思い返す。女子でもなければ見目に気を遣うことなど無縁の自分が、まさか絹地に心惹かれるとは。
それでもこの鮮烈なる色が目に飛び込んできた時、すぐさま頭を過ったのだ。藍から生でて尚深く染まった青を纏うに相応しき、若人の姿が。


「彧殿は、青がよく似合いますね」

偉大なる祖よ。彼こそは、我が一族の誉れとなる光明。
願わくは彼の青き輝きが更に美しく深く、育ちゆかんことを。





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2021/05/19

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