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曇天日和

どんてんびより

皐月の風薫る頃【五】

「ん~っ…」
寝台に身を投げ出し、思い切り伸びをする。
そのまま大の字になって、暗い天井を見つめ続けた。
思い出すのは、屋上で曹操に投げかけられた言葉。

『お主が必ずや守り通せ』

宙に手を伸ばしてじっくりと眺めた。
五本に分かたれ、意思により自在に動く指が目の前にある。
馬の時よりも体は小さくなってしまったかもしれない。
だが、今の自分にはこの手がある。通じる言葉もある。そして、速さの失われていない足がある。
今までよりもずっと傍で、大好きな主を守り抜くことはできる。
「うん…絶対に守るよ」
ここにはいない絶影の主の顔を思い浮かべながら、改めて誓った。

「先に寝ていてもよかったのに、起きてたんですか?」
部屋の奥から、穏やかな声と共に足音が近づいてきた。
「あ、ご主人様。お風呂気持ちよかっ…」
起き上がりながら、こちらにやってくる荀彧を見やったその刹那。

どくり。

また、大きな音が聞こえた。
それに自分で驚いて、反射的に胸を押さえた。
「大丈夫ですか!?」
慌てて荀彧が駆け寄ってくる。
寄り添ってきた瞬間、ふわりとした香りが鼻を掠めた。
「ご、ご主人様…」
恐る恐る、傍らの主を見た。
覗き込んでくる荀彧は、ゆったりとした寝着姿。それも、湯から上がったばかりの。
合わせ目から覗く肌、心配そうな表情を浮かべたその頬は、ほんのりと上気して色づいている。

どくり、どくり。

脈が重ねて跳ねるのがわかった。
「うぅ…」
呻く粕毛の姿を見て、いよいよ荀彧は不安を募らせる。
「やっぱり、胸が痛いのですか?ですが…」
荀彧は窓の外をちらりと眺める。月もだいぶ高くなっていた。
華佗に見てもらうのが賢明だが、流石にこの夜更けでは起きているかどうか怪しい。
「…わかりました。明日を待って、華佗先生の元へ参りましょう」
そう荀彧が告げた瞬間、粕毛は目を見開いて叫んだ。
「えええー!だ、大丈夫だよっ!」
「ですが、何かあってからでは……どうしたのです急に」
あまりの剣幕に、荀彧もたじろいでしまう。
粕毛は頑として首を振り、身を震わせながら言った。
「だ、だってぇ。先生こわいもん…」
「えっ?」
予想だにしなかった答えに、荀彧も思わず目を瞬かせる。
「まさか…馬からも華佗先生は恐れられているのですか?」
荀彧の問いに、粕毛は千切れるかという勢いで首を縦に振った。
「そうだよっ。あの先生のお薬すんごく苦いし、痛いはりでぶっすり刺してくるし!みんな足音聞いただけで嫌がるんだ」
粕毛の耳に、独特の急いた足音が蘇る。
あの音だけで誰が来たかわかってしまい、馬は一斉に震え上がるのだ。
「そ、それは……ふふっ」
あまりにも怖がる姿に、最初こそ呆気にとられていた荀彧だが、次第に口の端が緩む。
漏れてしまう笑みを抑えようと、口元を覆った。
「笑いごとじゃないんだよぉ~!」
粕毛は涙目になって訴えた。
以前熱発を起こした際、華佗に飲まされた煎じ薬の苦さは今も忘れられない。
あれを飲むくらいなら熱を我慢する方がましだ。
「すみません。華佗先生の御名が動物たちにまで轟いていると思ったら、おかしくて…」
華佗の手腕は人にだけでなく、動物にも遺憾なく発揮されているというのは知っている。
それにしても、馬からも恐怖の対象になっているとは。猛将たちが名を聞いただけで後退り、曹操ですら手に余らせている御仁ではあるが。
馬は言葉による意思疎通ができない分、より怯えが強いのかもしれない。
「では…尚のこと、貴方が馬を代表して先生にお伝えしたらいかがでしょう?薬をもっと飲みやすくしてください、鍼を優しく打ってください、と」
「い、いいよそんなのっ!なんかもう、治っちゃったし!」
そんな進言をしたところで、あの老人に聞き入れてもらえるとは到底思えなかった。
それに華佗の名で騒いだせいか、脈の跳ねが止んだのも事実だ。
「さっ、ご主人様!もう寝よう!」
「うわっ!」
粕毛は荀彧を引っ張り倒し、腕の中へと収めた。
「おやすみーっ」
「あっ、こら……」
それ以上の問答は無用とばかりに粕毛は目を閉じた。荀彧は嘆息しつつ、粕毛の前髪を撫でる。
医師をこんなにわかりやすく嫌がるなど、本当に子どもと変わりない。
「やはり、心配ですね…」
二回も胸を押さえる仕草を見せたのは引っ掛かる。嫌がるだろうが、明日は華佗の元へ連れていかなくては。
「ん……」
そう考えているうちに、粕毛の温もりが染み渡り、眠りの淵へと誘われた。





「……ご主人、様」
粕毛はうっすらと目を開けた。
穏やかな寝息を立てて眠る、美しい横顔が飛び込んでくる。

どくり。

落ち着いていた筈の鼓動が、再び高鳴る。
いい加減に粕毛もわかっていた。先程からこの妙な脈が起きるのは、決まって主を見た時だと。
「んん…っ」
腕の中で、荀彧が小さく身じろぎをする。
それに合わせるかのように、首筋から香の匂いが漂った。
大好きな主の香り。もう幾度となく嗅いできた、心安らぐ香り。

どくり、どくり。

「ご主人、様…」
ご主人様は、とても綺麗な人。いい匂いがする人。すごく優しい人。
僕は、この人が大好きだ。なのに、どうして。どうしてこんなに、胸が苦しいんだろう。
見慣れている筈の顔を見ただけで、匂いを嗅いだだけで、どうして。
「っ…?」
次第に、窮屈な苦しみが胸だけでなく、腹の更に下の方でも起きていることに気づく。
ある一点、自分が雄であるという象徴の部分。そこに、熱が籠っていく。
それが何を意味するのか。教えられずとも本能で理解している。
「…う、ううん」
必死に首を振った。流石に粕毛でも理解できる。主に向けるべき感情ではない、と。
どんなに美しくても、ご主人様は男だし、そもそも、人だ。子を成せるような間柄ではない。
では、どうして?どうしてこんなに、体が熱い?

「何を今更もじもじしてるんだか」
いきなり聞こえてきたのは、聞き覚えのある、少し人を食ったような声。
はっとして、粕毛は首だけを起こした。
「ったくよぉ。今こそ本懐を遂げるときだろ?何を躊躇う必要があるんだ」
部屋の奥から銀色の光が二つ。それは少しずつ寝台へと近づいてきて、窓の前で止まった。
「仙狸さん…」
差し込む月明かりが、光の持ち主の輪郭を浮かび上がらせる。
豊かな黒髪の美青年は、呆れた眼差しで見下ろしてきた。
「ほら…抱けよ。ご主人様を」
「え?抱っこならずーっとしてるよ?」
「餓鬼かお前は…!」
間抜けとしか思えぬ答えに、仙狸は額に青筋を浮かべて言い放った。
「抱くってのはな、文字通り抱っこって意味だけじゃねえんだよ!種をつけるって意味もあるんだ。つまり、ひと思いにお前の種を注ぎ込んじまえ!」
「え…えっ!?」
こうも明け透けに言われてしまえば、粕毛も仙狸の意図することは理解できた。
理解できたが故に、指示されたのがとんでもない内容だと悟ってしまう。
「ええっ…そ、そんな…なんで…!?」
目を白黒させる粕毛に、仙狸は底意地の悪い笑みを向けた。
「今は春。繁殖の季節だろ。お前だって、さっきからやりたくてたまらなそうだが…?」
仙狸の視線が、粕毛の下半身へと移っていく。
主張を成しているのが、装束の上からでもわかるようになってきていた。
粕毛は慌てて、下半身をぐっと縮こまらせた。
「うっ…これはその」
「だから欲情してんだろ?ご主人様に」
「う、うう…」
こんなに体が火照り、昂ってしまっている理由。
それをはっきりと、しかも露骨な言葉で指摘されてしまい、ますます粕毛は狼狽えた。
「だ、だめだよ…だって、僕は馬でご主人様は人なんだよ?それに僕と同じ男だもん、子どもができるわけじゃないもん…」
「ったく…じゃあ、いいことを教えてやろう」
否定を続ける粕毛に痺れを切らし、仙狸はずいっと顔を突き出した。
額と額が着くような至近距離で二人が向き合う。
「人ってのは面白くてなぁ?子を成すためだけじゃねえんだ。心底気持ちいいからって種付け行為をする生き物なんだよ」
「え、えぇ…?」
戸惑う粕毛に、尚も仙狸は畳みかける。
「ただただ、好きな奴と気持ちよくなりたい、ひとつになりたいって欲望のままに抱き合うのが人だ。だから安心しろ、お前がご主人様好き過ぎておっ勃たせてる、その気持ちは何一つ変じゃねえよ」
「そ、そう、なの……?」
馬の自分が、人であり男である主に欲を抱く。繁殖には反する心理。
決してそれはおかしくないのだと。全力で肯定されてしまい、言葉が詰まる。
その心の揺らぎを、仙狸は見逃さなかった。
「折角人になったんだ、楽しまない手はないよな?お前の初めて…ご主人様に奪ってもらえよ」
銀色の眼がその刹那、鋭利な猫の眼差しへと変化する。
ぎらりと怪しく揺らめく輝きが、粕毛の目に飛び込んできた。
「あ…れ……え…………?」
視界が、どろりと歪みを帯びた。
仙狸は目の前にいる筈なのに、どんどん遠くなり、捻じれていく。
頭も朦朧としていく中、最後に愉快そうな声が耳に残った。
「…それじゃあ、いい夜過ごせよ」







「ん…うっ…?」
首筋に熱いものが這う感触が、荀彧を眠りから覚ました。
「……っ」
眉を顰めながら、ゆっくりと目を開ける。
熱く滑った感触と共に、頬や首に柔らかい毛がかかる心地を感じた。
くすぐったさに身を捩ろうにも、抱きしめられているせいで身動きが取れない。
「ご主人様…」
首筋から熱いものが離れると同時に、耳元で吐息混じりの囁きがかかる。
「あ、っ……!」
覚醒しきっていない無防備な所に、その声は思いの外刺激が強かった。
背筋が逆立ち、小さな喘ぎが口の端からこぼれてしまう。
「ごしゅじん、さまっ」
短く切ない叫びと共に、覆い被さられた。
「えっ、あ、んんっ!?」
戸惑う暇も与えられなかった。
あっという間に口を塞がれ、唇、そして歯列をこじ開けられて。
入り込んできた舌は、たちまち荀彧の舌を絡め取った。
「んんっ、う、ぅっ……ん……っ!」
蛇のようにうねる熱が口内を支配する。
「ん、んんっ、ん――っ!?」
舌先でやんわりとなぞられたかと思うと、いきなりきつく吸い上げられた。
その瞬間、頭の中が真っ白になるような震えが体中を駆け巡る。
抗おうにも、振り解けない。力が抜けていく。

「っは……あ、んっ…あ…」
ようやく解放された時、荀彧の頬は染まり、息も絶え絶えになっていた。
「ごしゅじん、さま……すき」
その声にはっとして、頭上を見る。
「ごしゅじんさまぁ…」
いつもより、舌ったらずで、甘い声だった。
月光に薄ぼんやりと照らされた顔が、目の前に映る。
もうすっかり見慣れた、しかし一度も見たことのない表情を浮かべた粕毛がそこにいた。
「なっ……?」
本当に、粕毛なのか。今、自分を虚ろな瞳で見下ろしてくるこの青年は。

「ごしゅじんさま…ごしゅじんさま…」
唇を震わせながら、粕毛は何度も主を呼ぶ。
荀彧の怯えた眼差しは、潤んでいた。それは口吸いの熱に浮かされた証。
戸惑いに顰められた眉も、強く吸われて赤く色づいた唇も、匂い立つ香も。

きれい。きれいだ。
なんてきれいなんだろう、このひとは。

粕毛の手が迷うことなく荀彧の胸元にかかる。
「ま、待ってくださっ…あぁっ!」
荀彧の制止も空しく、寝着が乱暴に引き剥がされた。
滑らかな肩、華奢で端整な裸体が曝け出される。
粕毛の目は、露わになった荀彧の胸へと引き寄せられた。
「ひっ…あ!」
胸の蕾が、粕毛の唇へと吸い込まれていく。
生温かい口内の中で熱い舌先に転がされ、ぴりっとした快楽が生じた。
「だ、め……っ、あぁっ!」
なんとかして引き剥がそうと、粕毛の肩へと手を伸ばした。
だが、力もうとすると弱い部分を刺激され、うまく力をかけることができない。
自分の手なのに、まるで使い物にならなくなっていた。
「こんな、ことっ……あっ、いけま…せんっ……!」
せめてもと必死に言葉で叱ろうとする。
だが、喘ぎ混じりに紡がれる様は、かえって粕毛の心を煽った。
「どうして…?」
「ど、どうしてって…私と、貴方はっ、んんぅ…!」
叫ぼうとした言葉は口づけによって塞き止められる。
押し当てられた唇に、声も、息も奪われて。苦しさに意識が遠のく。
大人しくなったところを見計らって、粕毛は唇を離した。
「たしかにぼくはうまだけど…いまは、ごしゅじんさまとおなじだよ…?」
そう微笑む粕毛の顔は、紛うことなき、人の形をした青年。
確かに、見かけだけなら。顔も体も、どこから見ても今の姿は人だ。でも。
これから彼が及ぼうとしている事の重大さに、荀彧は顔を引きつらせた。
「い、いけません…こんなこと、許されなっ……あぁっ!?」
どうにか抵抗しようとした瞬間、またも頭の中が真っ白になった。
雷に打たれたかと思うほどの、強烈な快感。
股の間に滑り込んだ粕毛の右手が、荀彧の花芯をしっかりと包んでいた。
「や、やめ、て…お願いっ、やめ……あぁっ!あ!」
逃れようと身を捩るが、粕毛の掌と指は離れることなく荀彧を弄んだ。
「ごしゅじんさま…きもちいいんだね?」
ちゅく、と水音が聞こえた。握り込んでいるそこから先走りの蜜が滲み始める。
自分のこの手で、主が乱れている。気持ちいいと感じている。
「…もっと、きもちよくしてあげる」
粕毛は思うままに、右手で強く扱いた。
「っあぁっ!や…いやぁあっ……あ、ああっ!」
間断なく生み出された快楽が寄せ集まり、波となって襲ってくる。
限界はそこまで来ていた。
「あ、あ、ああ――――っ!!」
粕毛の手に導かれるまま、荀彧は蜜を散らした。

「ごしゅじんさま…いっぱい、でた…」
右手に纏わりついた白濁を、粕毛はうっとりと眺める。
「んっ…う……は……あ……ああ…」
快楽の余韻の中、荀彧は己の身に絶望していた。
粕毛に翻弄されるまま、淫らな姿を晒し、あろうことか達してしまうなど。
人ではない彼と、こんな浅ましい行為に身を委ねるなど。
「う、ううっ…」
荀彧の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちていく。
それに気づいた粕毛はすっと顔を寄せ、眦を舐め取った。
「…だいじょうぶだよ。もっと、もっとやさしくするから」
そう言うなり、粕毛は指先を荀彧の股、その更に奥の方へと這わせた。
「っひ、あぅ!?」
探り当てられたそこに、指が入り込んでくる。
「だ、めっ…そこは、いやぁ…!」
滑った指が蠢き、内壁を引っ掻かれていく感覚。
最初は異物感しかなかった筈なのに、その瞬間は唐突に訪れた。
「あっ、ああっ!?」
「ここ…きもちいいの?」
一際強い反応を見せた、その一点に気づいた粕毛は丹念にそこを弄る。
「あぁっ!?だ、め、…あ、うっ!」
擦られるごとに快楽が呼び起され、荀彧の声が跳ね上がった。
「あ、あっ…ん、あぁっ!あ、あんっ…!」
その声は最早悲鳴ではなく、蕩けた響きを持つものへと変質していた。
後孔の周囲もじくりと熱を持ち、緊張が失われていくのが伝わる。

「いく、よ…」
粕毛はついに、猛った雄を下穿きから取り出す。
指以上に質量と熱を伴ったそれが、解された窪みに宛がわれた。
「あ、ああっ…あああああっ!?」
僅かな痛み、そして激しい圧迫感が、荀彧の腹を苛む。
「ごしゅじんさまのなか…あったかいっ…」
心の底から満たされた笑顔を浮かべながら、粕毛は荀彧を貫き通した。
「や、ぁあっ…!ぬい、てっ…!あ、ひぅっ!?」
荀彧は泣き叫んだが、その直後にずしり、と腰を入れられる。
その衝撃が呼び起こす快楽に、仰け反るしかなかった。
「っひ…きもち、いい、ごしゅじんさまっ」
粕毛もまた、荀彧の中で自身が擦れる感覚に背筋を震わせる。
天まで昇っていけそうなほどの心地だ。これが抱くということなのか。なんて甘美な行為だろうか。
「ごしゅじんさま、すき、すきぃっ」
初めて経験する悦びに酔いしれながら、粕毛は我武者羅に動いた。
「やぁあっ!あ、んっ!いやぁあ!あぁあ!!」
最奥を突き上げられるたび、荀彧の口から何度も嬌声が上がる。
それに呼応するように、粕毛の動きも激しさを増していった。

「っく…あぁっ!!」
膨れ上がった粕毛の昂りが、荀彧の中へと解き放たれる。
「や、あぁああ―――っ…!!」
腹の内に注ぎ込まれる熱を受け、荀彧も二度目の絶頂を迎えた。
迸った蜜が、二人の腹を濡らす。
「っは…はぁ……あ…ん…」
達した瞬間、体中からすべての力が抜け落ちた。
がっくりと項垂れたところを、優しく抱きしめられる。
重ね合わせた肌の温もりが、精も根も尽き果てた荀彧を包み込んだ。



「ごしゅじん、さま」
意識を失っていく主の前髪を、愛おしみながら撫でる。
その瞳は、銀色に揺らめいていた。





2018/11/14

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